見た目は清純でも、裏にはポルノグラフィーの感性がべっとりとくっついている… そういうものは日本だけではなく、ハリウッド映画のポスターでもなんでもいくらでも類例は見つかる。
だが「子ども」向けとされるものに、そういう性的イメージをこれでもかと盛り込むのはやはり日本の特異な点であろう。ピクサーのアニメは家族向け、つまり子ども「も」見ることを念頭に置いて、セクシャルなジョークや性的サブリミナルをしかけてくることは(まず)ない。
性的サブリミナルだと言い張っているのは久美薫さんが妄想をこじらせただけのものですし、家族向け、子供向け作品に性的要素が少ないのは日本だって同じで、海外のものなら久美薫さんのような妄想的言いがかりすらできなくするほど完全に排除できているかといえば、原理的に不可能です。二次創作で性的なものが作られているから本編にだって性的なメタファーがあるはずだという久美薫さんの理屈によれば、スポンジボブにだって性的メタファーがあることになるわけですから。
一方で日本の『クレヨンしんちゃん』シリーズは、子ども向けといいながら性的ジョークや、子どもが親をからかうギャグ、それに現代日本を揶揄し風刺するようなテーマを盛り込んでくる。
クレヨンしんちゃんが子供向け作品の例として引き合いに出されていますが、クレヨンしんちゃんの元々の掲載誌は青年漫画雑誌であるところの漫画アクション(TV放送開始時も同じ)であり、あれは児童誌に掲載された児童向け作品ではありません。TVアニメ化したら児童にバカ受けして定番化してしまっただけです。
また、児童に人気が出てからは児童向けに幾らか作風が修正されています。
「おとな」向けと「子ども」向けの、二つの顔を使い分けることで日本のおたく文化は、本来この両者のあいだで分断されているはずの様々なモチーフを化学反応させ、奇想天外な、そして確かに面白い作品を生み出し続けている。
ひとつ前の久美薫さんの言い分によると日本は海外よりも大人向けと子供向けの使い分けが「できていない」はずですが、どちらにしろクレヨンしんちゃんを児童向け作品の例として引っ張ってきて大人と子供の使い分けがどうのこうのと言っているので前提が成立していません。
先日劇場版が公開されてファンのあいだで激賞が続く『ガールズ&パンツァー』のように、女子高生がまるでバスケか何かの部活動のように戦車を乗り回して他校の生徒たちと市街戦を繰り広げて観客に感動の涙を誘うという、ハリウッドではとても発想できないようなエンタテインメントが生まれてくるのだ。
一方アメリカではサメを主題にしたB級映画が続々と作られていて、そういったものは日本にもないわけで、ただ特色がある作品が生まれているにすぎません。
「子ども」でもあり「おとな」でもある――このダブルスタンダードを見逃すことで日本のおたく文化は世界にも類を見ない、マージナルでモラトリアムな欲望開放空間として進化した。そしてそのまさに申し子としてあるのが、童顔だがナイスバディの未成年設定(でないものもあるが)女子キャラクターたちだ。ナイスバディでない場合でも、それこそ先に分析したサブリミナルの技を駆使してエロスの視線を喚起しにかかる。首から上は「子ども」だが、首から下は「おとな」の身体という、キマイラもケンタウロスも素足で逃げ出す不可思議な仮想メス生物がこうして増殖する。
まずダブルスタンダードの意味がおかしいんですが、大人と子供のダブルスタンダードというのは場面によって都合よく使い分けるふるまいのことですよね。別にそんなもの都合よく使い分けてないですし、童顔巨乳というのはダブルスタンダードじゃなくて両方の特徴を同時に兼ね備えているだけです。理屈の上でも全く別のものですし、因果関係を全く提示せずにただ似通っているように見える概念を都合よくこじつけているお馴染みの連想ゲームにすぎません。
主題に挙げられたユーフォニアムで久美薫さんが例に出した絵では後列に並んだキャラのうち左端のキャラにマーカーを付けてこれがオタク文化特有の童顔ナイスバディガールだなどと言い張っていますが、そのキャラは作中でも特にスタイルがよいと言及されている副部長の田中あすかであり、手前に座っている黄前久美子は作中の設定どおりに貧乳に描かれています。副部長の隣に並んだ3年生二人はその中間で普通程度です。
つまりそこで描写されているのはキャラごとの特徴にすぎず、高校生なので顔立ちがそれほど大人びていないのも当たり前です。
「ナイスバディでない場合でも、それこそ先に分析したサブリミナルの技を駆使してエロスの視線を喚起しにかかる」というのは久美薫さんのような人の手にかかれば結局のところどんな表現であれ妄想でポルノにこじつけられるので、それに対する配慮や自粛など意味は無いということですね。
仮想生物であるからこそ、外国人には冷静な判断ができなくなる。そしてこう判断される。「児童ポルノではないか!」と。
言ってることがあまりに雑で意味不明なのでこちらで問題を整理しますが、いわゆる児童ポルノとは「実在の・児童に関する・性的虐待記録物」ですので、児童ポルノでないものを児童ポルノ呼ばわりする場合、3つのポイントがあります。
- 実在児童に全く関係ないフィクションでも許さない
- 実際は大人でも見た目が幼く見えるので駄目
- 取り締まり対象になるほど性的でなくても独自の基準により性的であるとみなす
1についてBBCを引き合いに出すのならBBCはイギリスの報道局で、イギリスの法律では2009年以降非実在児童もNGとなっていますので、あちらの国ではフィクションでも駄目なのでしょう。ここに理解の相違が生じる余地があります。ただしICPOが児童ポルノではなく児童性虐待製造物という呼称を推奨しているように、本来の児童保護という目的から外れているのはイギリスの方です。
2について、今回久美薫さんが引き合いに出しているユーフォニアムの場合、キャラは元々未成年ですのでこの点について理解の相違は無いはずです。ただし外見で児童かどうかを判断すると幼い見た目の大人が児童扱いされる一方で大人びた児童が救済されなくなるということがあり、この判断基準自体には問題があります。
3についても全年齢対象作品であるユーフォニアムを何とか性的であると説明できないと児童ポルノ扱いできませんが、実際のところユーフォニアムには取り締まれるほどの性的表現が存在しないので男根のメタファーだとか童顔ナイスバディガールだとか言って性的であると強弁しているのが今回の久美薫さんです。
3の前者のメタファー呼ばわりについては久美薫さんの想像力がたくましすぎるだけですし、後者の童顔ナイスバディガールとやらについては、仮想生物に遭遇したから認識が混乱して性的なものだと認識しているのだとか言ってますけど、幼い顔立ちで体の発育がいい人って数が少ないだけで普通にいますし、なんだかよくわからないから性的だと認識するというのも意味不明ですよね。
まず一つ前の段で「ナイスバディでない場合でも、それこそ先に分析したサブリミナルの技を駆使してエロスの視線を喚起しにかかる」と自白してしまっている通り創作物を児童ポルノ呼ばわりする人は別にナイスバディでなくても児童ポルノ呼ばわりしますので、ダブルスタンダードだとか仮想生物だとかナイスバディだとかが関係ないのは明らかです。むしろ体型だけでも大人びている方が子供と断定される率は低いでしょう。
で、もう一つ重要なところをツッコんでおくと、久美薫さんはアニメスタイルの表紙を引き合いに出してこのような↓発言をして、
更にハフィントンポストの記事注釈においては「ここで私が「版権イラスト」と強調しているところに注意してほしい。実際の作品では性的イメージ喚起の技は控えめにして、版権イラストでたっぷりしかけてくるのである」と述べています。つまり作品内容も他のキャラも関係なくあの表紙の絵単品で児童ポルノ扱いされるぞ、と言っていたはずなのですが、そのイラストでは前3人が貧乳で、ナイスバディの強調が全くありません。つまり童顔ナイスバディガールのせいで認識が混乱して性的に扱われるとかいう話は、「その(特に発育がいいわけでもない少女が並んでいる)表紙は西洋人には児童ポルノ扱いされるんだぜ」という当初の主張の根拠にはなっていません。
総じて冷静な判断ができてないのは久美薫さんですので、外国人はこのように混乱するはずだと決めつけるのも失礼です。
最近のコメント