徹夜でしょうか早起きでしょうか、兎に角おはようございます、松下です。
先日「金管楽器は男根のメタファー」のフレーズで一躍話題になった男根楽器おじさんこと久美薫さんがセルフまとめを繰り返した末についにハフィントンポストに記事を寄稿したわけですけれども、こんな子供だましの言い訳して恥ずかしいなあと思いながらついでにTwitterの反応一覧を眺めていたら意外とあれに騙されている人がいて真顔になったので、ちょっと真面目にツッコミを入れてみようかという気になりました。
目次
簡単な経緯
こういうのが西洋人の目には児童ポルノと映ってしまう。だから恥ずかしいということではなく、日本のおたくカルチャーは児童ポルノと同じ進化環境で進化してしまったということ。それにしても男根の代わりにでっかい吹奏楽器と絡むこの構図はいったい。
ジュンク堂書店池袋本店にて、肉眼で確認。沢山入荷していただいたようです。 pic.twitter.com/foMfIxc1Ms
久美・C・薫
@kumi_kaoruNow non-stop talking primarily in Japanese, occasionally in English, Chinese, French and German.
はい、自らまとめまで作ってやる気満々ですね。この時点で釣りを強く警戒するレベルです。
それから児童盗撮のログが発見されて更に2つほどセルフまとめが作られて、最終的にハフィントンポストの記事になりました。
久美・C・薫氏、女子小学生への盗撮指摘に対し「堂々と撮影したんですよ!」と開き直る。
被写体となった人に対する無許可撮影は、迷惑防止条例で摘発される恐れがあります。
『響け!ユーフォニアム』は児童ポルノと「解読」される?――日本のおたく文化とその国際性の限界【※】ハフポスト日本版は、12月2日に「『響け!ユーフォニアム』は児童ポルノ? アニメ評論家・久美薫さんの発言が物議」という記事を掲載したところ大きな反響があったことを受けて、この記事中で発言を取り上げた久美薫さんに寄稿していただきました(ハフポスト日本版編集部)
今回はこの記事について全体的にツッコんでいきたいと思います。
序文について
見てもらったほうが早い。左は、『響け!ユーフォニアム』の原作小説2巻のオリジナルの表紙。右はアニメの版権イラストを使った新しいブックカバーだ。現在発売中の小説本(の第1巻)はこのブックカバーがオリジナルの表紙の上にかぶせられている。
この版権イラストに描かれているのは、日本の女子高生にしては不自然なほど長く、艶めかしい生足。
日本の女子高生にしては足が不自然なほど長いとのことですが、現実の人間に比べて理想化・デフォルメされた創作キャラの手足が長いのは日本に限らず何ら珍しいことではなく、実際原作とも大差ありません。
性とは無縁の場所であるはずの高校の教室とおぼしい場所で、靴下もはかず、まるで映画『嘆きの天使』のマレーネ・ディートリッヒのようなポーズで、カメラ目線で上目遣い。
嘆きの天使のマレーネ・ディートリッヒのようなポーズだと大袈裟に言っていますが、実際のところ座面と足の接地面の高さが同じこの姿勢は、そう、ただの体育座りです。
そしてこの理屈によると学生が靴下を脱いで体育座りすると性に無縁の場所であったはずの教室が途端に性的になるということであり、大袈裟な表現を重ねた結果実際の内容も理屈も置き去りにしている感があります。
カメラ目線だって原作からして同じですし、上目遣いといっても単に視線が上を向いているだけで、特段色気を感じるような表情でもありません。
そして金管楽器の冷たい感触と対比させるかのような暖色系の肌…
色で比べるなら楽器の黄色も暖色系であり、異なる基準が意図的に混同されています。こうなるとただの連想ゲームです。
そもそも金属が冷たいのは当たり前であり、温度差があるから性的だと言われても意味が分かりません。
もうおわかりだろう。昭和臭すらする地味で堅実な表紙絵だったのが、アニメ化スタッフの手で、見る側の性的妄想をかきたてるような味付けが、こってりとほどこされているのである。
昭和臭すらする地味で堅実な表紙絵というのもひどい言い草ですが、久美薫さんが些細な変化や日常的に普通にあることに対して針小棒大に性的意味を見出していることがよくわかります。こってりしているのはアニメ化スタッフの仕事ではなく久美薫さんの妄想の方です。
断っておくと私はこのアニメ『響け!ユーフォニアム』を児童ポルノであると決めつけているのではない。それどころか文系部活の青春物語としてよく磨き上げてあると思った。来年4月に劇場版が、さらに後にはテレビシリーズ第二弾がお目見えするとの報に、ファンが歓喜し胸ときめかすのも理解できる。
しかしながら青春物語としてのこのアニメに私はいっさい思い入れがないことをまず告白しておく。それなのにどうしてわざわざ取り上げるのかというと、ずいぶん前から主に欧米圏で叫ばれる「日本のANIMEは性行為と暴力まみれだ」という声、たとえば「Why hasn’t Japan banned child-porn comics?(ANIMEやMANGAは児童ポルノだらけなのに日本はどうして取り締まらないのか?)」(今年2月にイギリスBBC記者がアキハバラを回ってまとめたレポート参照)という糾弾が続いている事実を紹介し、論ずるにあたって、この『ユーフォニアム』は非常に興味深い分析対象と考えるからである。
ここで話題に挙がっているBBCとはこういうところです。
元BBC人気司会者が少女暴行常習犯疑惑追及番組の放送中止でBBCに厳しい批判2011年10月に死亡したBBCの人気司会者ジミー・サビル氏が,長年にわたって多数の少女に性的な暴行を繰り返していた疑惑で,BBCが2011年末,サビル氏の犯行を追及した番組の放送を取りやめていたことがわかり,BBCに対する信頼問題にまで発展している。
NHK放送文化研究所 田中孝宜
2012年12月
身内の実在児童連続レイプ犯の犯行を隠蔽しながら特に被害者もいない日本の創作物を児童ポルノ呼ばわりしてのうのうと批判するあたり、本題であるはずの児童被害撲滅について真面目に考えているかどうかは甚だ疑わしいと言わざるを得ません。ただしイギリスの法律では現在非実在児童に関する性描写でも違法となっていますので、日本の未成年キャラに関する18禁創作物があちらの国のルールにおいては違法にあたるものであるというのはまあその通りです。
また、先の英文記事内容を読んでみれば分かりますがそのBBCですらユーフォニアムが児童ポルノであるとは言っておらず、ユーフォニアムを選んだのは単に楽器が男根に見えるという久美薫さん個人の特殊性によるものか…或いは別の理由であるという説が正しいならば、久美薫さんは妄想癖の持ち主なのではなく、悪意によって意図的に言いがかりをつけている可能性もあるのですが、これについては後述します。
なお、久美薫さんはBBCのこの記事の人ならユーフォニアムも児童ポルノ認定するはずだと言っていましたが、当人にあっさり否定された模様です。
今年2月にBBCがまとめたアキハバラ・レポート。この記者さんの目にはたぶん『ユーフォニアム』の版権イラストも同類にしか映らない。「なぜこんな児童ポルノが堂々と?」と。https://t.co/FLvkYwPKI8
『響け!ユーフォニアム』を貶したことで一躍有名人になった久美薫氏の主張のデタラメさを暴いて(?)みた自己まとめです。
まあそりゃあそうなるでしょうね。先ほどのBBC英文記事は少なくとも未成年相当の外見のキャラに18禁相当の性描写がある作品について、イギリスの法律では非実在児童であっても許されないのに日本の即売会や秋葉原では平然と流通していると述べていて、18禁描写のない作品をポルノだと糾弾しているわけではないのですから。
「■『ユーフォニアム』は児童ポルノなのか?」について
まず反論からいこう。アキハバラを彩る童顔美少女たちは児童ポルノとは血筋が全く異なる。
児童ポルノとは何か?国連の議定書によると「現実の若しくは疑似のあからさまな性的な行為を行う児童のあらゆる表現(手段のいかんを問わない)又は主として性的な目的のための児童の身体の性的な部位のあらゆる表現」のことだ。
言うまでもなくここにある「児童」とは、日本の法においてはCGやイラストの類ではなく実在する児童のことである(※1)。日本のおたく文化のシンボルともいえる童顔美少女たちは実在ではないのだから、設定上7歳であろうが17歳であろうが児童ポルノと外国から断罪される筋合いではないだろう(※2)。
※1 ただし架空のキャラクターであっても「児童の性的搾取」と法的判断される国はいくつか存在する。ここには法哲学上の大きな矛盾があるのだが詳しくは別の機会に
※2 ちなみに「児童」の年齢については国によって定義が違っていて、ドイツだと13歳未満、アメリカだと州によって異なるため一概にいえない。日本では学校教育法でいう「6歳以上13歳未満」とみなされているが、ほかの法との兼ね合いで厳格には定義されないまま今に至っている。
この辺りは割と当たり前のことを言っていますね。
「■京アニ作品「も」性的なイメージでいっぱい」について
だが、児童ポルノではないとして、ポルノグラフィーではないと言い切れるだろうか。
はい、また妄想の話に戻りましたね。何やらもっともらしく問題提起してますけど、簡単に言い切れますよね。性的な部位を露出してないしキャラが性的な行為やポーズをしているわけでもないのに、久美薫さんだけがそこから勝手に性的意味を読み取っているんですから。
アニメ情報誌や公式サイトにあふれる『ユーフォニアム』の版権イラストを拝見するに、これらの絵を描いた人間が、見る側の性的妄想を喚起するしかけを、これでもかと挿入しているのがわかる。改めて原作小説の表紙と比較してみよう。
左は原作小説第1巻表紙。右はアニメ専門誌『アニメスタイル』第7号の表紙(メディア・パル)
いかがであろう。右側の、まず中心に立つキャラクターを見てみよう。風でそっとまくれ上がっているミニスカートから伸びる足は、この童顔とはどこか不釣り合い。
いかがであろうと言われましても、高校一年生なので幼さが残っているのは当たり前ですし、頭身も高くはありません。体型が多少デフォルメされるのは創作キャラとしては普通です。
というか自分で性的妄想って言っちゃってますけどいいんですかね?
そのうえこの艶めかしい足と対比するかのように大きな金管楽器ユーフォニアムを抱えこむポーズ。
ユーフォニアムを抱え込んでいるのは原作でも一緒です。普通の抱え方です。
右には巨大なチューバに手をかけながらミニスカ姿で膝づくキャラクター。
チューバの置き方はこれが普通です。その巨大さゆえに必然的に重く、作中でも運搬に苦労する描写がありました。
建前は人物を三角構図に配置するためだとして、実態は屹立した男性器を服従ポーズをとって手と口で愛撫する(前の)ポーズに似せるためか。
まず人間のちんちんはそんなにでかくないのですが、言ってることに無理があるとは思わなかったのでしょうか。自らの妄想を実態なのだと言い張って構図を建前にすぎないと強弁しており、だいぶ認知が歪んでいます。
金属楽器でないと肉体と金属の対比が演出できないことを意識してか弦楽器コントラバスは後ろに目立たぬよう配置され、一番奥に立つ人物が持つトランペットは、それほど大きくないため肉体/金属の対比インパクトが薄いと判断されたのか手前の人物の頭部でそっと半分隠される。
主人公が一番前に立っているというだけなのに、これは性的な意図があるのだという結論を導くためにここまで妄想できるのはなかなか天晴れです。
まず男性器は金属ではないので肉体と金属の対比は性的描写と何ら関係ありません。
トランペットが後ろに隠れているのも原作から変わってませんし、同じクラスの仲良し3人組(ユーフォニアムの黄前久美子、チューバの加藤葉月、コントラバスの川島緑輝)+主人公と同じ中学出身で当初苦手意識がありながらも徐々に仲良くなっていく1人(トランペットの高坂麗奈)というポジションからしてもこの配置は妥当です。
これだけではなく、現在出回っている同作品のほかの版権イラストを分析していくとさらに面白いものが見えてくるのだが紙面の都合でここでは省略する。「それはお前の個人的妄想だろうが!」 そうだろうか。試しにGoogleで画像検索を「ユーフォニアム エロ 同人」でやってみれば、いろいろ刺激的なものが見つかるだろう。
二次創作に性的なものがあるからにはこれは自分の妄想ではなく制作側が仕込んだメタファーなのだ、と言いたいようなのですが、実際にはプリキュアだってポケモンだって、果てはスポンジボブですら二次創作で性的なイラストを描いている人はおり、何の根拠にもなっていません。碌な根拠を挙げられない以上やはり久美薫さんが妄想或いは私怨をこじらせた挙句それを制作意図によるメタファーだと言い張っているのは明らかです。
「■瞬間的に性的イメージを喚起するにはこれで十分」について
このアニメを作ったスタジオは、童顔美少女たちに性的なポーズを巧みにとらせる技に抜きんでている。
現状で判明していることは、別段性的ではないものにびっくりするような性的意味を見出す久美薫さんの妄想力が人間離れするほど抜きんでているということです。
ぱっと目で、見る側に性的なイメージを喚起させ、よく見るとただの楽器であり吹奏楽部のユニフォームであり風の偶然であるとわかって「なあんだ」に着地する。だが一瞬とはいえ脳内に広がった性的イメージは見る側の無意識に沈殿していく。作品自体は清楚でひたむきな青春物語だけれど、版権イラストを通して性的なイメージがたっぷりコーティングされるのだ(※3)。
※3 ここで私が「版権イラスト」と強調しているところに注意してほしい。実際の作品では性的イメージ喚起の技は控えめにして、版権イラストでたっぷりしかけてくるのである。
あまりに常軌を逸した妄想を垂れ流されると反応に困るのですが、普通の人は少女に抱えられた楽器をぱっと見ただけで男根のメタファーだなどとは思わないので、よく見るとただの楽器などという認識もしません。久美薫さんの認知が特殊なだけです。
本当にそういう認知であれば病的ですし、実際はそうではないのにこういう言い訳をしているのであれば、誰かに同意してもらえると思って書いているのか疑問です。
注釈については単独イラストの方が気合入った絵になっているというだけのことですよね。
いやもっと踏み込んで分析するならば、版権イラストではたっぷり性的なイメージがコーティングされているからこそ、私のようなひねくれ者がこのようなふとどきな分析を仕掛けてきても「作品を冒涜している!」とファンの力で封じ込められるよう、現在の日本のテレビアニメで追及できる最高の技術と演出力を投入して本編はとことんピュアでひたむきな青春物語に昇華しているのである。
性的なイメージが内包されているからこそ本編でピュアな描写をしてファンに擁護させているに違いない、などというのは分析ではなくただの陰謀論であり、実際のところは久美薫さんがありもしない馬鹿げたことを言っているためにファンだけでなく本編を見てない人にすら指さして笑われているだけです。事実はとてもシンプルです。
誤解してほしくないが私は吹奏楽を楽しむ人間がそろって色情魔だとか罵倒しているのではなく、そのつもりもない。ただ上に紹介したサブリミナルの技に秀でた人間の手にかかれば、カスタネットでもなんでもセクシャルなイメージ喚起に使いこなしてしまうだろうといいたいのだ。
制作者がサブリミナルに秀でているのではなく、少女が楽器を抱えている絵を見るだけで男根のメタファーだなどと思い込む久美薫さんのような特殊な人の手にかかればカスタネットでもユーフォニアムでも性的な意味を見出して言いがかりをつけることが可能ということで、ここから分かることは、認知が激しくゆがんだ人や悪意で理解を拒否する人による出鱈目なクレームはどんなに配慮していようとも回避不能であるということです。
事実このアニメスタジオは数年前に女子高生のロックバンドを描いた『けいおん!』という作品(の版権イラスト)のなかで、ギターを巧みに男性器のイメージに転換してみせている。
しれっと事実だと言い張っていますが、実際のところは久美薫さんが今回同様にけいおんからも勝手に性的メッセージを読み取っただけですよね。妄想の根拠に妄想を持ってきて事実だと言い張るあたり、末期的ではないでしょうか。
「ギターの弦を奏でるのがどうして男性器の愛撫と同一視されないといけないの?!」「金管楽器は口でくわえたりしない!マウスピースもお前は知らないのか?」 もっともな反論だが、版権イラストを眺める者の脳内に瞬間的に性的イメージを喚起するにはこれで十分なのだ。細かな差異など遠くからは見えはしない。
楽器を抱えた少女の絵から脳内に瞬間的に性的イメージを喚起するのは久美薫さんのような特殊な人だけですし、遠くから見たら関係ないというのだったら絵柄も童顔も関係ないですよね。
ちなみにこうした技は日本の発明ではなく、20世紀前半にアメリカで花開いたSF雑誌のイラストあたりにもういくらでも確認できるし、今ではどの国でも広告をはじめ使い倒された手ではあるのだが、それが極限まで「洗練」されたのが日本のMANGAやANIMEやゲームやその周辺のもの、つまりおたく文化の現在の姿である。
勝手に文化のせいにしてますけど、一般的オタクは楽器を抱えた少女の絵を瞬間的に男根だなどと思い込んでそのあとに普通の絵だと気づくなどというおかしな認知を持っていませんから、極限まで洗練されているのは久美薫さんの妄想力だと思いますよ。
「■外国人には児童ポルノと見分けがつかない」について
見た目は清純でも、裏にはポルノグラフィーの感性がべっとりとくっついている… そういうものは日本だけではなく、ハリウッド映画のポスターでもなんでもいくらでも類例は見つかる。
だが「子ども」向けとされるものに、そういう性的イメージをこれでもかと盛り込むのはやはり日本の特異な点であろう。ピクサーのアニメは家族向け、つまり子ども「も」見ることを念頭に置いて、セクシャルなジョークや性的サブリミナルをしかけてくることは(まず)ない。
性的サブリミナルだと言い張っているのは久美薫さんが妄想をこじらせただけのものですし、家族向け、子供向け作品に性的要素が少ないのは日本だって同じで、海外のものなら久美薫さんのような妄想的言いがかりすらできなくするほど完全に排除できているかといえば、原理的に不可能です。二次創作で性的なものが作られているから本編にだって性的なメタファーがあるはずだという久美薫さんの理屈によれば、スポンジボブにだって性的メタファーがあることになるわけですから。
一方で日本の『クレヨンしんちゃん』シリーズは、子ども向けといいながら性的ジョークや、子どもが親をからかうギャグ、それに現代日本を揶揄し風刺するようなテーマを盛り込んでくる。
クレヨンしんちゃんが子供向け作品の例として引き合いに出されていますが、クレヨンしんちゃんの元々の掲載誌は青年漫画雑誌であるところの漫画アクション(TV放送開始時も同じ)であり、あれは児童誌に掲載された児童向け作品ではありません。TVアニメ化したら児童にバカ受けして定番化してしまっただけです。
また、児童に人気が出てからは児童向けに幾らか作風が修正されています。
「おとな」向けと「子ども」向けの、二つの顔を使い分けることで日本のおたく文化は、本来この両者のあいだで分断されているはずの様々なモチーフを化学反応させ、奇想天外な、そして確かに面白い作品を生み出し続けている。
ひとつ前の久美薫さんの言い分によると日本は海外よりも大人向けと子供向けの使い分けが「できていない」はずですが、どちらにしろクレヨンしんちゃんを児童向け作品の例として引っ張ってきて大人と子供の使い分けがどうのこうのと言っているので前提が成立していません。
先日劇場版が公開されてファンのあいだで激賞が続く『ガールズ&パンツァー』のように、女子高生がまるでバスケか何かの部活動のように戦車を乗り回して他校の生徒たちと市街戦を繰り広げて観客に感動の涙を誘うという、ハリウッドではとても発想できないようなエンタテインメントが生まれてくるのだ。
一方アメリカではサメを主題にしたB級映画が続々と作られていて、そういったものは日本にもないわけで、ただ特色がある作品が生まれているにすぎません。
「子ども」でもあり「おとな」でもある――このダブルスタンダードを見逃すことで日本のおたく文化は世界にも類を見ない、マージナルでモラトリアムな欲望開放空間として進化した。そしてそのまさに申し子としてあるのが、童顔だがナイスバディの未成年設定(でないものもあるが)女子キャラクターたちだ。ナイスバディでない場合でも、それこそ先に分析したサブリミナルの技を駆使してエロスの視線を喚起しにかかる。首から上は「子ども」だが、首から下は「おとな」の身体という、キマイラもケンタウロスも素足で逃げ出す不可思議な仮想メス生物がこうして増殖する。
まずダブルスタンダードの意味がおかしいんですが、大人と子供のダブルスタンダードというのは場面によって都合よく使い分けるふるまいのことですよね。別にそんなもの都合よく使い分けてないですし、童顔巨乳というのはダブルスタンダードじゃなくて両方の特徴を同時に兼ね備えているだけです。理屈の上でも全く別のものですし、因果関係を全く提示せずにただ似通っているように見える概念を都合よくこじつけているお馴染みの連想ゲームにすぎません。
主題に挙げられたユーフォニアムで久美薫さんが例に出した絵では後列に並んだキャラのうち左端のキャラにマーカーを付けてこれがオタク文化特有の童顔ナイスバディガールだなどと言い張っていますが、そのキャラは作中でも特にスタイルがよいと言及されている副部長の田中あすかであり、手前に座っている黄前久美子は作中の設定どおりに貧乳に描かれています。副部長の隣に並んだ3年生二人はその中間で普通程度です。
つまりそこで描写されているのはキャラごとの特徴にすぎず、高校生なので顔立ちがそれほど大人びていないのも当たり前です。
「ナイスバディでない場合でも、それこそ先に分析したサブリミナルの技を駆使してエロスの視線を喚起しにかかる」というのは久美薫さんのような人の手にかかれば結局のところどんな表現であれ妄想でポルノにこじつけられるので、それに対する配慮や自粛など意味は無いということですね。
仮想生物であるからこそ、外国人には冷静な判断ができなくなる。そしてこう判断される。「児童ポルノではないか!」と。
言ってることがあまりに雑で意味不明なのでこちらで問題を整理しますが、いわゆる児童ポルノとは「実在の・児童に関する・性的虐待記録物」ですので、児童ポルノでないものを児童ポルノ呼ばわりする場合、3つのポイントがあります。
- 実在児童に全く関係ないフィクションでも許さない
- 実際は大人でも見た目が幼く見えるので駄目
- 取り締まり対象になるほど性的でなくても独自の基準により性的であるとみなす
1についてBBCを引き合いに出すのならBBCはイギリスの報道局で、イギリスの法律では2009年以降非実在児童もNGとなっていますので、あちらの国ではフィクションでも駄目なのでしょう。ここに理解の相違が生じる余地があります。ただしICPOが児童ポルノではなく児童性虐待製造物という呼称を推奨しているように、本来の児童保護という目的から外れているのはイギリスの方です。
2について、今回久美薫さんが引き合いに出しているユーフォニアムの場合、キャラは元々未成年ですのでこの点について理解の相違は無いはずです。ただし外見で児童かどうかを判断すると幼い見た目の大人が児童扱いされる一方で大人びた児童が救済されなくなるということがあり、この判断基準自体には問題があります。
3についても全年齢対象作品であるユーフォニアムを何とか性的であると説明できないと児童ポルノ扱いできませんが、実際のところユーフォニアムには取り締まれるほどの性的表現が存在しないので男根のメタファーだとか童顔ナイスバディガールだとか言って性的であると強弁しているのが今回の久美薫さんです。
3の前者のメタファー呼ばわりについては久美薫さんの想像力がたくましすぎるだけですし、後者の童顔ナイスバディガールとやらについては、仮想生物に遭遇したから認識が混乱して性的なものだと認識しているのだとか言ってますけど、幼い顔立ちで体の発育がいい人って数が少ないだけで普通にいますし、なんだかよくわからないから性的だと認識するというのも意味不明ですよね。
まず一つ前の段で「ナイスバディでない場合でも、それこそ先に分析したサブリミナルの技を駆使してエロスの視線を喚起しにかかる」と自白してしまっている通り創作物を児童ポルノ呼ばわりする人は別にナイスバディでなくても児童ポルノ呼ばわりしますので、ダブルスタンダードだとか仮想生物だとかナイスバディだとかが関係ないのは明らかです。むしろ体型だけでも大人びている方が子供と断定される率は低いでしょう。
で、もう一つ重要なところをツッコんでおくと、久美薫さんはアニメスタイルの表紙を引き合いに出してこのような↓発言をして、
こういうのが西洋人の目には児童ポルノと映ってしまう。だから恥ずかしいということではなく、日本のおたくカルチャーは児童ポルノと同じ進化環境で進化してしまったということ。それにしても男根の代わりにでっかい吹奏楽器と絡むこの構図はいったい。
ジュンク堂書店池袋本店にて、肉眼で確認。沢山入荷していただいたようです。 pic.twitter.com/foMfIxc1Ms
更にハフィントンポストの記事注釈においては「ここで私が「版権イラスト」と強調しているところに注意してほしい。実際の作品では性的イメージ喚起の技は控えめにして、版権イラストでたっぷりしかけてくるのである」と述べています。つまり作品内容も他のキャラも関係なくあの表紙の絵単品で児童ポルノ扱いされるぞ、と言っていたはずなのですが、そのイラストでは前3人が貧乳で、ナイスバディの強調が全くありません。つまり童顔ナイスバディガールのせいで認識が混乱して性的に扱われるとかいう話は、「その(特に発育がいいわけでもない少女が並んでいる)表紙は西洋人には児童ポルノ扱いされるんだぜ」という当初の主張の根拠にはなっていません。
総じて冷静な判断ができてないのは久美薫さんですので、外国人はこのように混乱するはずだと決めつけるのも失礼です。
「■もう半世紀も前から問題視されていた」について
「おとな」と「子ども」を明確に分ける倫理観、人間観をもつ文化圏の人間の目に、「おとな」と「子ども」を使い分けるポップカルチャーは言語道断なものに映ってしまうのである。
今から50年以上前、日本で最初の国産テレビアニメ『鉄腕アトム』がアメリカに、そしてヨーロッパ各国に輸出され、各地で子どもたちを虜にしたが、親たちからは「いくらロボット少年でもわが子をサーカスに売りとばすなんて!」「どうして毎回十万馬力で相手のロボットを壊しまくるのか?」と非難され、原作者にしてアニメ化の責任者でもあった手塚治虫が腹を立てた。「いったい、あのフランス・ギャングや、マカロニ・ウェスタンや、戦争賛美映画を容認している連中はどこへ隠れたのか?」
ところが実際に現地を回って話を聞くうちに、その批判がけっして感情的な言いがかりなどではないと思い知らされていった。「つまるところ、子供の番組であるがためらしい。日本の子供とちがって、欧米の家庭では、子供におとなの番組は見せない。子供は、自分たちの番組がすむとさっさとテレビを消してしまう」「これは単なる噂かと思って、ぼくがあちこちの家庭を訪問してみたところ、たしかにその通りであった」(※4)。
※4 『手塚治虫 僕はマンガ家』(日本図書センターから1999年に再版。1969年版準拠)の序章から引用。
これはとても入り組んだ話なので、後日別の場所で論じなおすつもりだが、もし興味がある向きには拙訳『アニメが「ANIME」になるまで 鉄腕アトム、アメリカを行く』(フレッド・ラッド著、ハーヴィー・デネロフ編、NTT出版、2010年)に当たっていただきたい。「子ども」「おとな」の境について、東西でここまで違いがあることを思い知らせてくれるだろう。
ようやく出典がついて一見もっともらしいことを言ってるんですけど、鉄腕アトムにクレームがついたのは児童ポルノではないものが児童ポルノ扱いされたという話ではなく、ましてやありもしない性的描写を強大な妄想力で勝手に読み取って文句を言い始めたわけではありませんので、久美薫さんのクレームが海外では当たり前であるという主張の根拠になっていません。
「■国連が動き出した」について
そして今年10月、国連から派遣された調査官による日本の児童ポルノの実態調査と、その中間報告も兼ねた記者会見を思い出していただきたい。「日本での女子高生の援助交際率は30%」という数字をめぐって大騒ぎになったのは記憶に新しい。しかしながら本当に注意を払わなくてはいけなかったのは、後半の質疑応答の際の彼女の発言のほうだったのではないか。
Lastly, I would like to encourage the Government of Japan to conduct comprehensive research on the root causes, push and pull factors, scope and impact of the various forms of sexual exploitation of children and the sexual commodification of children, in order to inform effective policy-making and public debates on certain topics, including the issue of manga and anime.
最後に、日本政府については、様々な形態で行われている児童の性的搾取ならびに性的商品化の根本的原因、需要と供給の関係要因、広がりと度合いについて包括的な調査研究を実施することを望みます。そうすることで効果的政策決定にくわえ、広く議論を喚起することが可能となるからです。そうした政策決定および議論の対象として、MANGAやANIMEにおける児童ポルノの問題も含まれるべきです(※5)
※5 ここの発言部分には「児童ポルノ」とないが文脈から判断して訳文に含めた。
彼女の発言には、おそらく日本側の協力者との行き違いや誤解もあってか法理論上の瑕疵も見られるが、それでもMANGAやANIME、つまり日本のおたく文化についてポルノグラフィーの視点からとことん論じなおすべきではないかと問題提起した点に、私は着目したい。
そう、論じなおすことからはじめるしかない。日本がバブル景気に沸いてアメリカとの貿易摩擦で日米関係が悪化していた平成頭に、大阪府堺市の奇妙な市民団体が「日本のまんがは黒人差別でいっぱいである」と糾弾を始め、それにアメリカ側の大手メディアが反日感情に煽られてかうっかり乗ってしまって、その結果手塚治虫の名作『ジャングル大帝』までが出荷停止となった事件があった。「人種差別反対」という絶対正義タームの土俵に載せられてしまった日本のまんがは、ニューヨーク・タイムズやCNNなどのアメリカメディアを前にこれほど脆く、情けない姿を見せたのだった。
「たかがまんがで」と思いたくなる気持ちはよくわかる。しかし、そういう情が通用しない相手を説き伏せるには、徹底して自己分析して理論武装をするしかない。それは喩えるならば、自分の自慰の際に思い浮かべる性的イメージを逐一言語化してパブリックに説明するがごとき、痛ましくも恥ずかしい努力の積み重ねとなるだろうが。
何やら偉そうに理論武装しろとか論じ直せとか仰っておりますが、半世紀前の問題を持ってきて問題提起した時点で周回遅れかもしれないとは思わなかったのでしょうか。
別に言われなくても論ずるのに不自由しておりませんし、創作物に対する表現規制主張はほとんどの場合は性的表現を取り締まれば犯罪が減るに違いないという思い込みや実在児童がどうであろうがそういう表現が許せないという教義的価値観によるもので、それらは児童保護という目的に反しているので、本来の目的に合うようにしてもらえればそれでよく、性癖をわざわざ語る必要がありません。
なお、非実在児童を性的に表現した創作物を取り締まっても性犯罪は減らないという調査研究結果が既に出ています(※リンク先は児ポ法改正前に書いた記事です)し、非実在児童のために警察のリソースを無駄に食って実在児童保護のためのリソースを食いつぶすという意味でも明らかに害悪です。
そしてその努力の末に思い知るはずだ。どんなに論理を積み重ねても防御しきれないものが、おたく文化のまさに中核をなしているのだと。
中核というのが何を指しているのか不明ですし、何故防げないのかというのも不明ですね。勢いだけで言ってませんか?
妄想で言いがかりをつけてくる人のクレームの発生を防げないのはその通りですが、別にクレームによる規制や自粛を防げないわけではありませんよ。
先日私がツイッター上で『ユーフォニアム』をポルノグラフィー分析の手法で解読したところ、一時は全国トレンド一位になってしまうほどの怒りの集中砲火を浴びたのは本当に光栄だった。だが私が仕掛けたのは実戦ではなく、あくまで模擬演習にすぎない。それは肝に銘じてほしい。
カール・マルクスいわく、「歴史は二度繰り返す。最初は悲劇として、二度目は喜劇として」。いつか本物の黒船がやって来るとき、私たちはどこまで言論で戦えるのだろう。
はい、見事な後釣り宣言の上に典型的な議論が深まっ太郎さんの挙動でしたね。
結局海外では日本のアニメは児童ポルノとして見られるのだという主張に碌な根拠はありませんでしたし、やっと出典付きで出してきたのはクレーム案件とはいえ児童ポルノ呼ばわりとは無関係なエピソードでした。
実戦ではなく外圧に備えた模擬演習だと言われましても、久美薫さんは実際にあるクレームをシミュレートもできておらずただただ異常な主張をした挙句海外ではそういう風に見られるのだなどと根拠のない主張をしていますので、訂正に余計な手間がかかって迷惑なだけです。
男根のメタファーの時点で大半の人は言われるまでもなく何言ってんだお前という反応をしていましたが、うっかり乗っかってしまった一部の人は恥ずかしい思いをしましたね。ハフィントンポストに掲載された元記事を読んでこの期に及んでなお一読の価値があるなどと言っている人はちょろすぎるのでもう少し言明の正しさや論理構造に疑問を持った方がよいでしょう。
なお、援助交際の件については訂正後13%となっており、この数字はECPATあたりの雑な資料を鵜呑みにした結果と言われています。碌な根拠のない情報でも政治力があれば国連関係者に信じさせることができるという一例であり、2008年にはブラジルで開催された「第3回子どもと青少年の性的搾取に反対する会議」で実情とかけ離れた訴えがなされた結果日本が児童ポルノ大国呼ばわりされるということもありました。
PTA「中3女子の13%は援交にあまり抵抗感ない」
↓
Weekender「中3女子の13%は抵抗感なく援交」
↓
About「高率の中3調査から見積っても女生徒の援交は13%」
↓
AsiaTimes「ある推計で女生徒の援交は約13%」
↓
ECPAT「同上」
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国連「同上」
日本と海外からの視点の乖離:2008年ブラジル会議を検証2015年10月26日に国連の「子どもの売買、児童売春、児童ポルノ」に関する特別報告者、マオド・ド・ブーアブキッキオ(Maud de Boer-Buquicchio)氏による「特に極端な児童ポルノ・コンテンツを扱った漫画は、禁止すべきだ」という発言は大きな話題を呼びました。しかしながら過去に遡るとこのように創作上の行為と現実社会での行為を類似物であるという主張が海外の国際会議では何ら珍しくあ…
兼光ダニエル真
2015年11月8日
前RT 国連報告”ban manga”の黒幕はECPAT東京の宮本潤子かよ…。ブラジル会議の時と全く同じ構図じゃんか。ECPAT東京が海外で捏造をばら撒く → 海外の識者が真に受けて国際会議で発表。勧告 → ECPAT東京”国際的非難ガー” ポリシーロンダリングの出来上がり。
個人レベルのモンスタークレーマーであれば無視や警察頼みという手が有効ですが、モンスタークレーマーと同レベルの雑で出鱈目な言明でも海外を介したロンダリングで圧力をかけられると割と厄介ですので、理屈の正しさの他に政治力も求められるところです。
そこで現実的な手段としてお勧めなのが援助交際13%の件でも外務省を動かした山田太郎議員の応援です。
参議院議員 山田太郎(全国比例)
@yamadataro43山田太郎、本名です。 現在、参議院議員をしています。日本を元気にする会政調会長。これまで、マザーズ上場企業創業社長、外資系上場企業副社長など日本企業の海外進出と資金調達のサポートや製造業のサポートをおこなってきました。東大や早大、東工大などで教鞭もとっていました。専門は憲法21条(表現の自由と通信の秘密)
山田太郎議員は児ポ法の改正時にも付帯決議をつけるという形で創作物規制を防いでおり、実在児童保護のための組織改善の働きかけを積極的にしている実績もあるので、非常に頼りになります。まずは山田議員を落選させないことが第一で、他の規制反対派議員もできるだけ多く当選するようになればなお良いでしょう。
久美薫という人について
最初に言うとバイアスがかかるので避けましたが、そもそも久美薫という人は実は昔から出鱈目な言説で金を稼いでいる人で、出鱈目を言うのは今回に限ったことではありません。
このテーマで一冊書き下ろしたら儲かるかな。
久美薫については「宮崎駿の時代」「宮崎駿の仕事」という2つの評論本があるので是非みなさまご一読されることをお勧め…しません。いえその読みたい人は読んでいいですけど、よくよく見ると論調がえらく雑で血管切れかねんので…
@shanghai_ii 「ナウシカの持ってる大砲が男根」みたいな話の出処自体が久美薫の独自研究そのもので5年越しのマッチポンプなのですが…
うーん。「ナウシカのおっぱいが大きいのは」とか「ナウシカが持つ砲が」とかみたいなクソいネタの出処は追っかけるとだいたい久美薫なんで、ほんとだまされちゃだめよ? うわごとのようにずっとそういうこと言ってる人で、最近相手にされなくなったからかアニメ業界の労働問題に首突っ込んでるだけ。
なお久美薫の著書である https://t.co/Q86l81ZJZU につきましては、本件発生よりもはるか昔から☆1であるという事情から何かをお察しいただければ幸甚です。
更に、先ほど説明を保留した「何故よりによってド健全部活アニメであるユーフォニアムに対し西洋では児童ポルノだなどという言いがかりをつけたのか」というところに関してですが、以下のような情報があります。
いや、ただ単に小黒さんとアニメスタイルと日本のアニメ業界を叩きたいだけのおじさんだよ、あの人。
発端がアニメスタイルの表紙というのも、多くの人には意味あることとして認識してないだろうし。
自称ニュートン先生ことメタファーおじさんこと堂々盗撮おじさんは、以前小黒さんを名指ししてアニメ業界の癌と言っていたからね。
ここでもう一度最初のツイートを見てみましょう。
こういうのが西洋人の目には児童ポルノと映ってしまう。だから恥ずかしいということではなく、日本のおたくカルチャーは児童ポルノと同じ進化環境で進化してしまったということ。それにしても男根の代わりにでっかい吹奏楽器と絡むこの構図はいったい。
ジュンク堂書店池袋本店にて、肉眼で確認。沢山入荷していただいたようです。 pic.twitter.com/foMfIxc1Ms
小黒祐一郎
@animesamaアニメスタイルの小黒祐一郎です。アニメ関連の出版物の編集が本業で、アニメの企画などもやっています。仕事の依頼はWEBアニメスタイル( http://animestyle.jp/ )の[CONTACT]からメールでお送りください。
はい、よく見てみると確かにアニメスタイルの編集長である小黒祐一郎さんに対してお前のところのその表紙は何だァとケチをつけていますね。ハフィントンポストでも同じ表紙の絵を引用してケチをつけています。ということは因果関係としては小黒祐一郎さんへの嫌がらせでアニメスタイルの表紙に難癖をつけようとしたところ、たまたまその表紙がユーフォニアムだったので児ポ呼ばわりするにも材料が無く妄想からひねり出して楽器が男性器のメタファーなどととんでもないことを言い出す羽目になったし、童顔ナイスバディガールとやらを根拠にするサンプルからも外れて言い訳すらも支離滅裂になったということでしょうか。うん、辻褄が合ってしまいますね。
というわけで言いがかりの出鱈目な理屈は勿論、模擬演習だとか議論喚起してやったとかいうのも全部後付けで炎上操作のための戯言である可能性が高いわけですが、どちらにせよ久美薫さんは出鱈目ばっかり言う人ですので、今後も真面目に相手をする必要は無いでしょう。
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