神刀流剣闘術
始祖はドイツ・ゾーリンゲン育ちの東洋人である
このクリスチャン・ルッツの壮絶な闘いの記録が代々ゾーリンゲン市長による「市長手記」、トルコ北部伝承「狂王イブラヒム」、
現在、神刀は故郷ゾーリンゲンの刃物博物館に納められており、定期メンテナンスの他、年に一度の祭で神刀流剣闘術師範が演舞の際に用いる以外は接触を禁じられている。
博物館の展示状態でも、その刀身に"DIVINESWORD -神刀- Nr.707 Batroit Lutz, Solingen 1618"と刻まれているのが確認できる。
この神刀の製造にはシリアから招聘されたダマスカスの賢者こと
ところでドイツで作った刀の名前が何故英語なのかというと、当時30年戦争に参加していなかった英国の言葉を冠することで中立不干渉の象徴として用いたためであり、何故神の刀なのかと言えば、バトロイト・ルッツの後を継いで刀を鍛えなおした
神刀流剣闘術の初代とされるクリスチャン・ルッツはその武神のごとき活躍から彼そのものが「剣聖ディヴァインソード」と呼ばれていたと記録にある。レオナール・バラスコの戯曲エペ・ディヴァイネにその様子を簡潔にまとめた一節があるので、まずはこれをそのまま紹介する。
戦場を駆けるその男は、味方にとっては無敵の武神、敵にとっては忌むべき魔人、その精神は忠義に厚い武人であった。
彼には「ヒルデの遣い魔」「ゾーリンゲンの魔人」など数々の不名誉な別称があったが、何と呼ぼうが誰も彼の鋼の精神を砕くことは出来なかったので、しまいには誰もが諦めて「ディヴァインソード」と呼んでいた。彼は銃弾飛び交う戦乱の中、愚直なまでに一人の女を守り続け、しかし守りきれず、戦乱とともにその壮絶な生涯を終えた。
彼の後を継ぐ神刀流剣闘術の師範はこれにちなんで剣聖ディヴァインソードの称号を付与され、初代と同じ剣聖の紋章を身につけることを許可される。クリスチャン・ルッツはこの紋章を刀の他に左手の甲に刺青していたとされるが、現在これを身につけるにあたって身体の一部でなくてもよいので、例えば印籠などの所持品に刻印する場合もある。
図に示すものは大紋章であり、一般的な西洋紋章と同じように中紋章・小紋章と省略が可能であるが、この剣聖の紋章の場合は盾のみの小紋章から更に省略が可能で、最小限まで省略すると中央の三つ巴のみとなる。神刀の鞘にこの状態の省略紋章が見られる。
省略紋章の状態では一般的な日本の家紋との差異が無いため、使用に制限は発生しない。