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神刀流剣闘術(ディヴァイン・シュヴェルトカンプフ)

神刀流剣闘術(ディヴァイン・シュヴェルトカンプフ)とは、中世ドイツ30年戦争の最中に成立したとされる、日本刀を使った剣闘術である。

始祖はドイツ・ゾーリンゲン育ちの東洋人であるChristian Lutz(クリスチャン・ルッツ)士爵で、彼は養父Batroit Lutz(バトロイト・ルッツ)が作り上げた日本刀、神刀(ディヴァインソード)を手にドイツ30年戦争を戦い抜いたとされている。
このクリスチャン・ルッツの壮絶な闘いの記録が代々ゾーリンゲン市長による「市長手記」、トルコ北部伝承「狂王イブラヒム」、Leonard Balasko(レオナール・バラスコ)の戯曲「Épée Divine(エペ・ディヴァイネ)」などに記されており、刀の存在と併せて概ね事実であったとされている。これらの記録を基に定義された神刀流剣闘術師範の要求技量は「非連射式の銃との決闘において必勝」という馬鹿げたものであるが、少なくとも現在の師範Ebel Mölders(エーベル・メルダース)はこれを満たすとされている。

現在、神刀は故郷ゾーリンゲンの刃物博物館に納められており、定期メンテナンスの他、年に一度の祭で神刀流剣闘術師範が演舞の際に用いる以外は接触を禁じられている。
博物館の展示状態でも、その刀身に"DIVINESWORD -神刀- Nr.707 Batroit Lutz, Solingen 1618"と刻まれているのが確認できる。
この神刀の製造にはシリアから招聘されたダマスカスの賢者ことهَادِي نَدِيم أَدُونِيس(ハーディ・ナディーム・アドーニース)が関わっており、材質はダマスカス鋼という仮説が立てられているが、近年のX線分析でも玉鋼と同等の高純度鉄鋼が鍛造構造を成しているという以上のことは分かっておらず、真偽のほどは定かではない。

ところでドイツで作った刀の名前が何故英語なのかというと、当時30年戦争に参加していなかった英国の言葉を冠することで中立不干渉の象徴として用いたためであり、何故神の刀なのかと言えば、バトロイト・ルッツの後を継いで刀を鍛えなおしたMonika Hilde Lutz(モニカ・ヒルデ・ルッツ)が教会にかけられた魔女疑惑への反論であったと言われる。現在の神刀流剣闘術はクリスチャン・ルッツの死後にその弟子Rufus von Stuttgart(ルーファス・フォン・シュツットガルト)がこの神刀の名を冠して流派として定義したものであるため、英語とドイツ語が混ざった奇妙な名前になっている。

神刀流剣闘術の初代とされるクリスチャン・ルッツはその武神のごとき活躍から彼そのものが「剣聖ディヴァインソード」と呼ばれていたと記録にある。レオナール・バラスコの戯曲エペ・ディヴァイネにその様子を簡潔にまとめた一節があるので、まずはこれをそのまま紹介する。

戦場を駆けるその男は、味方にとっては無敵の武神、敵にとっては忌むべき魔人、その精神は忠義に厚い武人であった。
彼には「ヒルデの遣い魔」「ゾーリンゲンの魔人」など数々の不名誉な別称があったが、何と呼ぼうが誰も彼の鋼の精神を砕くことは出来なかったので、しまいには誰もが諦めて「ディヴァインソード」と呼んでいた。彼は銃弾飛び交う戦乱の中、愚直なまでに一人の女を守り続け、しかし守りきれず、戦乱とともにその壮絶な生涯を終えた。

彼の後を継ぐ神刀流剣闘術の師範はこれにちなんで剣聖ディヴァインソードの称号を付与され、初代と同じ剣聖の紋章を身につけることを許可される。クリスチャン・ルッツはこの紋章を刀の他に左手の甲に刺青していたとされるが、現在これを身につけるにあたって身体の一部でなくてもよいので、例えば印籠などの所持品に刻印する場合もある。
図に示すものは大紋章であり、一般的な西洋紋章と同じように中紋章・小紋章と省略が可能であるが、この剣聖の紋章の場合は盾のみの小紋章から更に省略が可能で、最小限まで省略すると中央の三つ巴のみとなる。神刀の鞘にこの状態の省略紋章が見られる。
省略紋章の状態では一般的な日本の家紋との差異が無いため、使用に制限は発生しない。

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