シャングリ・ラ王国
概要
シャングリ・ラ王国は、太平洋ミッドウェイ諸島の近傍に存在するシャングリ・ラ島及び周辺の小島を国土とする新興国である。
2000年7月に地殻変動で陸地が確認されて暫定的にアメリカ領となり、2002年7月から難民の受け入れ先として移民を開始、2003年11月からアメリカ領行政区として扱われていた。
2010年6月以降は国家元首と憲法・法律が制定され国家として機能しているが、この時点で管理責任がアメリカから日本に委譲されており、現在のところ独立国家として国連には承認されていない。
なお、この資料で2010年7月以降、或いはそれより後の年代と前置きがある場合は、
名称
日本語名でシャングリ・ラ王国、英語名でShangri-La Kingdomとされている。文章上では略してSLKDと称されることもあるが、口頭ではシャングリ・ラと発音した方が短い。日本では
国名の由来はその領土であるシャングリ・ラ島である。この島は当初2000年7月の国連主要国首脳会議で一旦ノース・パシフィック島と命名されたものの、2002年6月の同じく国連主要国首脳会議で「難民たちの新たな楽園」という希望を込めてシャングリ・ラ島と改名され、以降それが定着している。
これは当時特にチベット亡命政府から難民受け入れの強い要請があったため、アメリカが気を利かせて改名したのだが、シャングリ・ラはイギリスの作家ジェームズ・ヒルトンが創作した架空のチベットの楽園であるため、当のチベット難民にはその認知度が低く、また、移住開始時点ではインフラが整っておらず、楽園とも言い難いものがあった。
領土
領土の位置
国土は2000年7月に初めて海面からの隆起が確認されたシャングリ・ラ島全域及び隣接する5つの小島である。このシャングリ・ラ島は東経180度0分、北緯28度12分にある。日本から見ると奄美大島の真東であり、更にもう少し東に行くと日付変更線をまたいでミッドウェイ諸島がある。
ミッドウェイ諸島との位置関係
シャングリ・ラ島はミッドウェイ諸島から西に2度38分=291kmの位置にある。また、島全体が元々アメリカの領土であったミッドウェイ諸島から200海里=370km以内にある。
国土面積は4,975km2=福岡県と同程度=ハワイ島の半分程度=オアフ島の3倍以上であり、太平洋上の島では広い部類に入る。ミッドウェイ諸島と並べて見比べてみるとその大きさは圧倒的で、ミッドウェイ諸島の本島であるサンド島よりもシャングリ・ラ島周辺の小島の方が大きい。
国土の性質
地質は堅く、地殻変動については2000年8月に安全宣言が出ているものの、その後も地震が多い。また、海底から隆起したばかりの土壌は塩分を大量に含むため、通常の農業には全く適さず、土地改良が試行錯誤されている。その代わりに温泉の水脈が豊富である。
地理詳細
シャングリ・ラ王国はシンプルに24の市で構成されている。大きい島とはいえ、国土全体でもハワイ州より小さいため、州や県と言った行政単位は存在しない。面積がほぼ等しい福岡県が28市12郡から成るのと同レベルの構成であると言える。
地名は首都近辺以外は一括して決められたわけではなく、その土地に住んでいる住民がどう呼んでいるかを調査して最終的にもっともらしい名前がつけられている。
島の中央にはシャン山があり、その山頂すぐ近くのシャングリ・ラ湖のほとりに首都シャングリ・ラ市と王宮がある。
シャングリ・ラとはチベット語で「シャン山の峠」(=shang ri la)という意味であり、それに倣い最も高度の高い山を「シャン山」、その峠にある湖、川を「シャングリ・ラ湖」及び「シャングリ・ラ川」とし、後に湖のほとりに形成された都市がシャングリ・ラ市と定められた。
シャングリ・ラ島の東経180度0分、北緯28度12分というのは、島で最も高い位置にあるシャン山の頂上を基準とした位置である。
なお、シャングリ・ラ市は2010年7月以降、福岡県の
シャングリ・ラ宮殿と呼ばれる王宮は、名前は豪華だが実際はそれほど豪華な装飾がなされているわけではなく、耐震強度と居住性重視の現代建築である。
王宮が普通の現代建築というのも国の象徴的建築物として少々さみしいものがあるが、実際のところシャングリ・ラ王国は経済的余裕があまりないので、王族だからと言って無理に贅沢をしないのは身の丈に合っている。また、王族自身も民間人出身なので普通の生活に慣れている。
それよりも特異なのは宮殿の周囲に建てられた宗教建築の数々であり、仏教の寺院、イスラム教の礼拝堂、キリスト教の教会、神道の神社などが各宗派ごとに建ち並ぶ様は壮観である。これはシャングリ・ラにおいてはどのような宗派であっても互いを尊重して共存せよという方針をよく表わしており、日本のような放任無信仰より一歩進んだ積極的立場を示している。
よって、シャングリ・ラ宮殿全体を写真のフレームに収める場合、これらの宗教建築物を含めて撮影するのが好ましいとされる。
南端のハーバー市はその名の通り丸ごと米軍基地及び軍港となっている。
入植開始前の時点で、現在で言うハーバー市が擁するシャクソン湾が大型港の建設に大変適していると判断されたためにこの島で最初に都市化が進められた地域でもあり、アメリカ海軍太平洋艦隊の主要拠点とすべく、パール・ハーバーをしのぐ規模の軍港建設が2010年現在も進行中である。
基地内に軍用の空港もあり、シャングリ・ラ空港の運用開始まではこちらが民間でも使用されていた。
基地の地下には北太平洋第一原子力発電所があり、今なお島内の電力全てを賄っている。
シャクソン湾の命名は釈尊(釈迦)に由来する。
北部のノース・ポイント市には2010年6月に新しくシャングリ・ラ空港が開業し、国際線が就航している。
また、それ以前から港湾設備が比較的充実しており、国際線の船便も出ている。
命名はシンプルに北の岬という意味である。
東部のウオガシ市はその名の通り魚河岸がある漁業都市であり、マグロ漁と捕鯨が盛んである。
漁業技術を主に日本から学んだために鮮魚市場がウオガシと呼ばれるようになり、そのまま都市の名前として定着している。
西のトコナッツ市周辺にはホライゾン・ビーチが広がる。見渡す限りの砂浜とココヤシのマングローブが広がる、大変風光明媚なスポットである。
観光業が盛んであり、シャングリ・ラ空港から直通便が通っている。また、ビーチに加えてラーメン屋台と温泉宿があり、これも人気である。
トコナッツとは日本語の常夏と英語のココナッツをかけてできた全く新しい造語らしいが、どうにもこの名前は不評のようである。
人口と民族
2010年現在の人口は約100万人で、人口密度はほぼ同じ面積の福岡県の1/5程度である。
内訳はチベット系民族が約51%、アフガニスタン・パシュトゥーン系民族が約10%、アフガニスタン・ハザーラ系民族が約9%、アフガニスタン・ファールスィーワーン系民族が約7%、アフガニスタン・タジーク系民族が約7%、パレスチナ・アラブ系民族が約6%、アメリカ白人系民族が約2%、アメリカ黒人系民族が約1%、日系人が約1%、その他が約6%となっている。
その後、2011年の東日本大震災、2033年の日本経済破綻に際して日本の難民受け入れを実施し、日系人の割合が増加することになる。
なお、管理国の民族を除き殆どの住民が元難民やその子息という経歴を持つ。更に一部は元ファタハ、ハマース、イスラーム聖戦、ヒズボラ、アルカーイダなどの構成員であり、いわゆる元テロリストである。しかしそのようないわくつきの人々ばかりが集まっている割にシャングリ・ラ王国の犯罪発生率はそれほど高くはなく、特に日本の管理下に入って銃刀法と交番制度が導入されてからは逆に治安が良いことで知られるようになる。
一見不思議なようだが、これは彼らパレスチナ人達にとっては一種の戦略である。どういうことかと言えば彼らはこの雑多な民族や宗教がひしめきあうシャングリ・ラ島において他の民族や宗教と問題なく共存できることを自ら示し、つまり問題は国土の大半を簒奪したまま譲ろうとしないイスラエル側にあることを実績として主張することで、間接的にイスラエルと闘っているのである。そういった戦略を選んだ彼らはむしろ一般の人々よりも暴力に厳しく、同胞による国内でのテロ行為を許さない。また、主張に際してテロリズム自体の正当性は否定しているので結果的に元の母集団であるテロ組織とは袂をわかっており、直接の繋がりは無い。
アフガニスタン人に関しては入国前に個人ごとにアルカーイダとの関係をあらかた調査しているため、シャングリ・ラ国内のアルカーイダ関係者は極少数で、度々事件を起こせるほどの組織力を持っていない。
国旗
- シャングリ・ラ王国国旗
シャングリ・ラ王国の国旗は、主要民族の故郷であるチベット、アフガニスタン、パレスチナ、更に管理国である日本とアメリカの国旗のデザインを組み合わせたハイブリッドデザインとなっている。一見雑多に見えるが、整理するとそのテーマは博愛・活力・勇気・信仰・流血・繁栄・神聖・真実・潔白・自由・平和・平等・威光・苦難であり、やはり雑多である。
黒・白・緑・赤の組み合わせは汎アラブ色であり、アラブ・イスラム圏での定番カラーである。これはアフガニスタン国旗及びパレスチナ旗に由来している。
この汎アラブ色の赤とチベット国旗の太陽を組み合わせ、変則型の旭日旗のように旗竿側にずらして配置している。この太陽はシャングリ・ラ王国が東経180度のまさに「日出づる国」であることを示すメインシンボルであり、背景の3色にかぶる形で全面に描かれている。この後光と背景併せて24の放射状ストライプは建国時の24市を示しており、星条旗の13州紅白ストライプを参考にしたとコメントされているものの、見た目はどちらかと言うと旭日旗である。
シャングリ・ラ王国の国旗は以上の簡素なデザインとなっていて宗教的なシンボルは一切取り入れられていない。シャングリ・ラでは建国時点で仏教、イスラム教、キリスト教の共存が行われており、当初全ての宗派のシンボルを盛り込むことも検討されたのだが、そうなると今後他の宗派が台頭してきた場合にいちいちそれを追加していかなければならないため、いっそ全て無しにするという結論に至っている。
総じて色の意味をまとめると、以下のようになる。
- 赤…博愛・活力・勇気・信仰・流血を示す。チベット、アフガニスタン、パレスチナ、アメリカ、日本の全てを由来とする。
- 白…繁栄・神聖・真実・潔白を示す。チベット、アフガニスタン、パレスチナ、アメリカ、日本の全てを由来とする。
- 緑…自由・平和を示す。アフガニスタン、パレスチナを由来とする。
- 黒…苦難、つまりかつて侵略に晒された民の国であることを示す。アフガニスタン、パレスチナを由来とする。
- 上記4色が併せて汎アラブ色と呼ばれる。
- 黄色…自由・平等・繁栄・威光を示す。太陽のシンボルであり、チベットを由来とする。
なお、縦横比は国連準拠の2:3であり、国連加盟につながることは些細なことでもやっておこうという努力の跡が伺える。
宗教と文化
国教としての定めはなく、信仰の自由が保障されている。
民族の人口構成比から、仏教徒が約5割、イスラム教徒が約4割、キリスト教徒が1割程度と推測されている。
国内各地や王宮の周囲にそれぞれの寺院や教会が建てられて賑わっている。
文化はそれぞれの宗派がそれぞれのスタイルで信仰を全うできる程度に自由である。
アメリカ統治時代は考え方の根本にキリスト教的なものがどうしても存在するために反発があったが、仏教・神道寄りでありながら実際は特定の信仰を持たない日本が管理責任を負うようになったことで、以降はほぼ完全にニュートラル、悪く言えば放置状態になっている。
そのような環境下で、異なる宗派や民族の間でも個人レベルではそれなりに交流が生まれ、相互に認められる様式を取り入れた新たなスタイルが成立しつつある。特に日本から王妃を迎えて以降、これが顕著である。
建築物
一見それぞれの民族や宗派の伝統的建築物が立ち並んでいるが、これは伝統工法そのままの建造物ではない。
というのも、当初はそれぞれの民族でそれぞれのやり方で住居を構えていたのだが、何しろシャングリ・ラ島は日本の関東地方と同等レベルで地震が頻発するため、旧来の工法ではこれに対応することができず、震度3~4程度の地震でも毎回倒壊家屋が出る始末であった。
それを見かねたアメリカが近代工法による建築を勧めたものの、出来上がりがあまりに近代建築そのものであったために、当の住民が文化保全を理由にこれを拒否。じゃあどうするのかと喧々諤々の議論になっていたところで日本が助け船を出し、文化固有の風情をそのまま残した頑丈な家を建てることを提案するに至る。
日本の建築家とデザイナーと大工が一致団結して作られたビフォー・アフターばりの新しい伝統住宅は住民の好評を得て評判が広まり、大量の受注が発生する。しかしこれを住民自身が作れなくては文化の意味がないとして日本の技術者は現地住民に工法のレクチャーを行い、現在では実際に住民だけで十分な耐震性を持つ新伝統住宅を建てられるようになっている。
その工法技術を伝えたのは、ただでさえ地震に強い日本の建設業者の中でも最強の耐震技術を持つと言われる静岡から渡来した技術者達であった。そのため、新たに普及した耐震性の高い新伝統建築は「シズオカ式チベット建築」「シズオカ式アラブ建築」などと呼ばれている。
なお、工業地帯などは機能性優先で普通の現代建築が立ち並んでいる。
言語
第1公用語は英語とされているが、実際にはチベット語、ゾンカ語、パシュトー語、ダリー語、アラビア語などがそれぞれの民族で用いられている。
また、2010年に日本が管理責任国となったことで日本語が新たに第2公用語と制定されたが、制定される以前から多くの日本の技術者や漁業者が支援に来ていたため、実は結構日本語が通じる。道路の交通標識は当初英語だけで書かれていたが、管理国が日本に交代することが決まってからは日本語が併記されるのが一般的になっている。
気候と風土
隣のミッドウェイ諸島と同じく亜熱帯に属し、東風により穏やかな南国の気候となっている。
真冬以外はビーチで海水浴を楽しむことができる。また、真冬でも温泉宿が利用できる。
海岸線沿いには塩害に強い塩生植物が多数植林されてマングローブを成しており、努力の甲斐あって現在では風光明媚と言えるほどのものになっている。
標準時
GMT+12とされているため、日本の明石標準時より3時間早い。
シャングリ・ラ島は東経180度0分に存在するため、旧来の日付変更線が島のど真ん中を通っており、アメリカ統治時代はGMT-12であった。しかしその後管理責任が日本に委譲されるにあたり、2010年6月7日0時に日付変更線が再改定されてGMT+12となった。その際、日付が1日飛んで6月7日が丸ごと消滅することになった。
産業
食料自給率の品目中で漁業関連だけが軒並み200%を超えており、特にマグロ漁や捕鯨が盛んである。
チベットもブータンもアフガニスタンも国土が内陸にあるため、住民の殆どは当初海洋漁業の知識が全くなかったが、近海での漁業許可を緩和して呼び込んだ日本の漁業者達の指導と現地住民の努力により、今では自力で捕鯨ができるまでになっている。
日本の支援で2010年6月にシャングリ・ラ空港が出来てからは、観光が重要な収入源になっている。観光資源としては、ビーチで海水浴を楽しめるほか、いわゆる温泉旅館がいくつも存在する。また、近海で獲れた新鮮なマグロなどをネタにした寿司屋や意外なところではラーメン屋が多数出店しており、そのどれもが日本人受けしている。しかしそれでもまだ負債を帳消しにするには程遠く、今後の見通しとして資源がなくてもできる情報産業立国への道が模索されているものの、予算の都合で十分な開発機材が揃わないので明確な見通しは立っていない。
ところで寿司については近海で新鮮な魚が獲れるから分かるのだが、ラーメンについては塩害で小麦が育ちにくいせいで実は国内で賄える原料がほとんどない。
しかし移住直後の栄養が不足がちな島民たちを支えた食糧が他ならぬ日本から提供された大量のインスタントラーメンであり、住民の多くにその味が原体験として残っていることがこの地にラーメンを定着させた最大の原因であると言える。
そのため、シャングリ・ラの住民は本格派の小難しいラーメンよりもシンプルなものを好む傾向があり、悪く言えばインスタントっぽいのだが、シャングリ・ラの価値観からするとそれはむしろ褒め言葉である。ついでに日本出身の王妃が元々ジャンクフード好きで、これを食べた際に正直に美味しいと発言してしまったため、シャングリ・ラのラーメンが高貴な日本人にとっても美味いという更なる勘違いを助長することとなってしまう。
公共設備
多くの公共施設、インフラはアメリカや日本の主導で普及が進められている。
上下水道
シャングリ・ラ島にはダムを建設できるような河川が存在しないため、海岸沿いに設置された多段フラッシュ方式の淡水化プラントで飲用水を確保している。この上水道設備は日本のものが導入されており、殺菌処理や風味調整に関わる設備も設置当時の最新式が完備されている。つまりこの設備で生成される飲用水は日本の水準を満たすものであり、初めて島を訪れる難民のみならず米軍兵士にまで好評を博している。
下水道設備の導入に関しては当初なかなか決まらなかったものの、結局のところ上水道の実績を買われて日本の主導で整備されることになり、地味ながら公衆衛生の改善に一役買っている。
温泉は天然のものであるが、水質的にやや塩分が多い。
電力供給
2010年時点でのシャングリ・ラ王国の電力の供給源はほぼ100%が原子力となっている。というのもシャングリ・ラ島がまだノース・パシフィック島と呼ばれていた2000年にアメリカ合衆国が開拓のために応急的に原子力空母の交換用予備原子炉を設置したのが始まりで、つまり殆ど住民がいない頃から既に原子炉が設置されていたことになる。
この原子炉は100MW級加圧水型で、2010年現在は米軍基地地下に存在する北太平洋第一原子力発電所に設置されている。基地の地下ということで米軍太平洋艦隊が常時この原子炉の防衛を行っているため、並の原子炉をはるかにしのぐセキュリティを誇る。
米軍による原子炉管理を頼る形でその後も同型の原子炉がスケーラブルサーバーのごとく増設され、2010年現在で合計10基設置して最大1GW、都市生活100万人分程度の安定電力供給が可能となっている。島の人口とほぼ同じなので全く余裕が無いように見えるが、実際のところシャングリ・ラでは日本と比べて一人あたりの電力消費が少ないため、最大1GWの発電で100万人+米軍基地の分を余裕で賄っている。
その後原子炉の増設は2028年まで続き、最終的に25基の100MW級原子炉が設置される。しかし2033年、10GW級光子力反応炉の稼働開始とともに全ての原子炉がお役御免となり、発電所自体も北太平洋第一光子力発電所と名称を改める。
光子力反応炉とは物質の質量全てを光エネルギー(ガンマ線)、ひいては電力に変換する、原理上究極とも言える発電量/燃料質量比を持つ機関である。必然的にガンマ線が大量に発生するため一見原子炉より危険なように思われるが、密閉反復光電変換によりほぼ全てのガンマ線が失われる上、新素材の
北太平洋第一光子力発電所に設置されているものはドイツDatz社製の第一世代型10GW級光子力反応炉であり、試作段階から北太平洋第一発電所内Datz社出張研究所において稼働試験が行われていたものである。
実際に各家庭に供給されている電力は、アメリカ合衆国準拠の単相120V 60Hzである。これは米軍基地の設備に合わせたものである。
ところがシャングリ・ラの一般家庭では日本の中古家電を使用することが多く、ユニバーサル準拠の家電は問題なく使えるものの、特に需要が高い携帯電話が100V専用となっていることがあるためこれを使うには変圧器が必要で、携帯電話を使う全ての家庭に変圧器を設置するのはいささか効率が悪かった。
そもそも送電システム上は距離減衰を極力避けるため元々120Vよりはるかに高い電圧で送電しており、各家庭に配電する直前で120Vに変圧して120V 60Hzとしている。つまり、この変圧プロセスを100V出力に変更すれば問題は解決するはずであった。幸い電源ソケットの物理形状はアメリカと日本で互換性があり、電源ソケットの交換は必要なかった。
ただ問題はこれをやってしまうと今後シャングリ・ラにおいてアメリカ120V専用家電の需要が見込めなくなるということで、アメリカの家電メーカー業界からの反発のため、配電時点での電圧変更は結局実現に至らなかった。しかしそれでシャングリ・ラの住民が納得するわけもないので、120V-100V変圧器の購入に限り、調達価格の50%をアメリカ合衆国政府が負担するという対策案が打ち出された。
ところがその後変圧器が予想外の勢いで売れに売れ、2010年6月時点で普及台数が200万台を突破したという調査報告がある。実際の調達価格が平均5,000円程度だったとして200万台の半分を負担すると50億円かかっているはずであり、その後もやはりアメリカ家電があまり普及していないことを考えると、アメリカ政府は無駄な出費をしていると自国民に逆にバッシングされる始末である。ただし、変圧器のメーカーだけは未曽有の変圧器需要で大層儲けたそうである。
そういった経緯で現在シャングリ・ラの各家庭には変圧器が普及しており、日本製の100V専用家電も問題なく使用することができる。また、日本人観光客をターゲットとした温泉旅館の場合、配電分岐の直後にこれ見よがしに120V-100V変圧器を設置することで、建物全体に100V電力が供給されている。
通信網と放送局
国際通信網の開通はかなり早く、2003年の段階でインターネットが一般家庭から利用可能になっている。元々日本-アメリカ間の太平洋横断ケーブルにミッドウェイ諸島を通るものがあったので、それを拝借して接続するだけで高速国際通信の出来上がりというわけである。
国内の通信網はと言えば、2010年時点で早くも90%を超える恐るべきインターネット普及率を誇る。これは、更地に通信網を一から築いていくなら電話線でも光ファイバーでも大したコスト差は無いので、使い分けて2種類それぞれ引くような無駄を省いてはなから光通信ケーブルだけを敷設していった結果である。更には国内に電波放送を行うTV局が存在せず、国営放送の映像配信がインターネット配信のみであるという事情がこの高いインターネット普及率を支えている。
シャングリ・ラ島に本格的に移民が開始された2002年7月当時、アメリカでは既に地上波デジタルTV放送が始まっており、日本でも間もなく開始という時期だった。つまり新しくアナログ放送を始めてもすぐに停波するのが目に見えており、放送電波のインフラを整備するならデジタルで行くのが筋というものだが、何しろデジタルTV受像機の新品が高価すぎた。かといって中古品もあまり出回っておらず、黎明期ゆえにその中古品の耐久性にも問題があったので、どの道すぐには普及が見込めなかった。これらの様々な問題により、結局のところ電波放送という選択肢は無くなってしまった。
そこで白羽の矢が立ったのが、インターネット配信である。急ピッチで敷設が進んでいる光通信インフラを利用したインターネット配信ならば格安の中古PCでも十分に視聴が可能で、更にPCの性能に合った受信映像の品質を選ぶことができ、配信側も今後の品質変更が容易である。また、いちいち録画しなくても好きな時間に好きな内容を見ることができるというのは見過ごせない利点である。これらを勘案して、放送形態はインターネット配信がより現実的だという結論に至り、光回線とともにTV代わりの安価な型落ちPCが爆発的に普及することとなった。
中古PC同様に携帯電話も買い替えで不要になった中古品が大量に輸入され、シャングリ・ラ王国内に広く普及している。特に好評なのが機能性が高く頑丈な日本製のもので、大半の住民が旧世代製品のバッテリーだけ交換して快適に使用している。そういった事情で、シャングリ・ラでは3年~5年ほど型落ちの日本製ガラパゴスタイプ携帯電話が大量に普及している。
これを象徴するエピソードとして、2010年7月に初めてシャングリ・ラを訪れた日本出身の王妃が自分の携帯電話と同一機種を国民が使っているのを見つけて驚き、更に自身の携帯電話もそのまま使えるのに気付いて喜ぶという場面が報道されている。この一件のため、益々日本のガラケーが良いものだというイメージが浸透してしまい、日本やアメリカの型落ちスマートフォンが出回り始めてからもシャングリ・ラでは暫く日本製ガラケーが生き残り続けるという、いわゆるシャングリ・ラ・ガラパゴス現象が起きることとなる。特にその同一機種の最大の長所が「頑丈さ」だったため、最終的に周波数帯の利用が停止されるまでユーザー数が殆ど減らずに延々残り続ける。ただ王妃の場合資金繰りの都合で中古を使っていたわけではなく、単にその機種を気に入って、新品で購入してからずっと使い続けていただけである。
その他の公共設備
交通網としては、まず島を横断・周回する幅広の国道が3本あるものの、高速道路はなく、国道周辺以外はアスファルトにもなっていない。島を周回する鉄道の敷設計画、いわゆるヤマテ・ライン計画も構想されているが、予算不足のために先送りにされている。そういった事情で、2010年現在で島内を最も高速に移動する手段はヘリやVTOL機となっている。
島の北端に日本の経済援助と技術援助で建設されたシャングリ・ラ空港があり、2010年以降は国際便が就航している。
島の沿岸部には漁港が多数あり、漁業が盛んに営まれている。計画的区画整理で漁港と観光用ビーチがそれぞれ密集する形になっている。
東側の港からはミッドウェイ諸島への船便も出ている。
軍備
2010年現在、シャングリ・ラ王国は自らの軍備を持っていない。法的に所持できないのではなく、軍備を持つだけの経済的余裕がないためである。
しかし自ら軍備を整える代わりにアメリカ合衆国軍の保護下にあり、基地を提供する代わりに有事の際は守ってもらうという依存関係にある。更にその基地の維持に必要な補助予算は管理責任国である日本から出ている。そのため、基本的にアメリカ嫌いの住民でさえもこれは必要であると考えており、基地の存在そのものは国内で支持を得ている。
難民の入植直後から支援名目で日本の自衛隊もしばしば出入りしており、島民に対して軍事力を行使したことは無いのでシャングリ・ラでの印象は良いが、あくまでシャングリ・ラ島は米軍が保護しているため、自衛隊の基地や常駐人員はシャングリ・ラ島には存在しない。
シャングリ・ラ空港の反対側、島の南端のシャクソン湾一帯に米軍北太平洋基地がある。
この島が米軍太平洋艦隊の重要拠点と位置付けられてからは大規模軍港の建設工事が進められており、これは日本にシャングリ・ラ島の管理責任が委譲されてからも継続している。2010年の段階で既に太平洋でハワイ真珠湾に次ぐ規模の米軍基地であり、大型輸送機や重爆撃機が連続で離着陸可能な滑走路と空母その他の艦艇が多数停泊可能な軍港がある。
司令部は常設しておらず、基本的にはハワイの太平洋艦隊司令部の指揮下に入っているが、有事の際にはその指令機能や所属軍備の大半が移動できるようになっている。米軍北太平洋基地の軍港には普段はせいぜい1隻か2隻の空母が停泊している程度であるが、何しろ基地の規模が大きいため、ハワイから移動した原子力空母や原子力潜水艦を軍港に満載した状態では、ともすれば欧州列国の軍事規模を超えると言われる。
民間の空港や港の開港以降、普段は民間でこちらの軍施設を使用していないが、自然災害など有事の際には軍以外でも使用可能ということになっている。
また、基地の地下には北太平洋第一原子力発電所があり、開拓時代から空母用の小型原子炉を幾つも抱えている。
シャングリ・ラ島の電力需要の増大に伴ってその原子炉の数は年々増えているものの、何しろ米軍太平洋艦隊が常時監視しているため滅多なことは起こらないと見られている。これも米軍の駐留を許容する大きな理由の一つとなっており、2011年の東日本大震災以降、原子炉に対する災害対策の重要性が認識されたためにより一層米軍の必要性が高まっている。
国家元首
2010年6月6日の住民投票によって信任を得た
カルマ国王は1977年生まれの33歳。ブータン出身のチベット民族である。信仰する宗派はチベット仏教であるが、他宗派を尊重する立場を取っており、各宗派の教義もよく研究して理解している。また語学が達者でチベット語、ゾンカ語、パシュトー語、ダリー語、アラビア語、英語、日本語を話せるため、即位前に裁判所の教義局職員であった頃から多くの宗教間問題を和解に導いており、若くしてカリスマとも言える信頼を集めている。カリスマがありすぎていまだに民間人が国王に直接相談しに来てしまうという場面もよく見られるが、国王自身は一人ひとり真面目に話を聞いている。勿論これは民間の人脈・情報源の維持という打算の上でもある。カルマ国王は常に穏やかな雰囲気のいかにも僧侶といった佇まいだが、実際のところ国の舵取りを任せるに足る程度には現実主義・現場主義である。
国王選挙では他にも徳の高い僧や修道者が候補に挙がっていたが、何しろ徳が高い仏僧は必然的に殆どが高齢の童貞であるため、世継ぎができない可能性が高いというリスクがあった。その中で唯一30代という若さとラマの聖号を併せ持つカルマ・タクツァン僧が仏教派の中で人気を集め、更にイスラム教やキリスト教など他の宗派にも深い理解があったため、他を大きく引き離してトップ当選したという経緯がある。
カルマ国王は娶った王妃が元男であるという件に関しては一切隠しておらず、むしろ外科手術もホルモン注射もなしに生まれたままの身体で性別と寿命の限界を越えた奇跡の人であるとして万人に誇っている。また、初代国王が即位して間もなく彼女を妃に迎えられたことは極めて幸運であり、今後のシャングリ・ラ王国の繁栄は約束されたも同然である、と語っている。
これは一見運命信仰的な発言のように聞こえ、多くの人々が国王のこの発言に賛辞を送っているのだが、実際のところ国王自身は今後の王家運営や外交にとって有利極まりない伴侶を手に入れたと語っているにすぎないという指摘もある。以下のように、運に頼らずとも王妃を娶ったことによる実利が多数あるからである。
- 王家が奇跡の血を継いでいるとなれば一代にして早速王家に箔が付く。
- 王妃の寿命に限りがなく今後も生き続けていくならば、代が進むほどに益々奇跡の実証となり、簡単に王家が打倒されることはない。
- 懸案事項の一つである世継ぎの問題にしても、魅力と生殖機能が永続するならかなり余裕ができる。
- 子孫が王妃の寿命無限特性を受け継ぐならば王家の力となり、仮に性別変化特性を受け継いで男の性別を維持できなくなったとしても、王が男でなければならない決まりは無いので何とかなる。
- 王妃が元日本人であり、しかも見目麗しいとなれば日本の下世話なマスコミが食いつきやすく、最も味方でいてもらわなくては困る日本との外交が今後格段に楽になる。
- 王妃を連れていけば対日外交が有利に運べるのならば、最も重要な対日外交における切り札となり、同じく外交権を持つ首相や外務大臣に対して大きなアドバンテージを得ることができる。
この指摘についてカルマ国王自身は、国家にとって致命的な不利益がないかどうかは婚姻成立前に十分考慮しているが、求婚の動機自体は一目惚れで、本能的なものであると語っている。
政治形態
立法を行う議会、行政を行う内閣、司法を司る裁判所の三権分立の上に国王を頂く立憲君主制である。
実務はそれぞれの機関で行い、必要な場合に国王が承認する形を取る。つまり国王は半ば象徴的な存在であるが、拒否権や勧告権を持っており、いわば総監督的な役割を持つ。また、首相が代行を認める場合は外交においても首相と同等以上の権限を持ち、外交の切り札的存在ともいえる。
国王の交代は死去または公的引退宣言のほか、議会の75%以上の賛成による解任決議によって実現される。
解任が可能とはいえ、あくまで王室であるため次の国王はその血縁者から選出されることになる。例えばカルマ国王が娶った王妃は王の血縁者ではないため王位継承権を持たない。ただこれも抜け道があり、一旦王子に王位を継承した後ならその母である前王妃は新王の血縁者なので王位継承権を持つことになる。
なお、国王の性別は初代は男性であるが、特に男でなくてはならないという規定は無い。
シャングリ・ラ王国の裁判所には教義局というものが設置されている。
これは各宗派の専門家が集まって教義を研究している機関で、宗教間のトラブルによる裁判が発生した際には適切な解釈を与え、裁判に至らない民事のいさかいでも適切な解決法をアドバイスする役割を持つ。カルマ国王はこの教義局の元職員である。
法律
シャングリ・ラ憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法の基本六法が定められており、これらに付随する法案も随時審議されている。
構成が日本の法律に大層よく似ているが、これは元々の管理国であったアメリカにとってコントロールしやすいようにアメリカが日本の法律をベースとした草案を作ったという事情がある。
しかしその後審議を重ねて出来上がった内容はというと、あらゆる宗教を尊重する立場をとるために世界におよそ類を見ないほど自由に溢れており、例えば結婚なら重婚、近親婚、同性婚まで認められている。出版・販売物の性的な表現についても、明確なゾーニングを条件として日本と同程度までは認められている。
これは最初に管理を担当したアメリカの自由さ、それを引き継いだ日本政府の無宗派ぶりといい加減さ、更に「人民の幸福を追求する」という目標を掲げるブータン出身の国王や議会の楽観主義が絶妙に合わさった結果である。しかし良くも悪くもこれが多宗教・多民族国家の気質には意外と合っているようで、新たに成立したシャングリ・ラ王国は、立憲君主制でありながら今やアメリカ合衆国以上の自由の国といった様相を呈している。
その一方で、数少ない資源を保護するためにやむなく禁止されているものがある。例えば燃費が基準以下のガソリン自動車は空気の汚染がひどいため禁止、サンオイルは海を汚すため使用が全面禁止となっており、違反者には厳しい罰則が設けられている。喫煙も住居内の他、特定の喫煙室以外では禁止となっている。
また、管理責任が日本に移って以降、日本の銃刀法と同等の法整備がなされたため、市民レベルでの銃器の所持も禁止されている。
これらの禁止事項は経済維持や安全維持に必要であり、実績も出ているため、概ね支持を得ている。
一般に使用を禁止されている特定薬物が宗教上の儀式にどうしても必要である場合は、事前に届け出て医師と警察官の監督下でならば使用が許可される。
なお、議会において特定自然保護団体を基盤とした国際的圧力により捕鯨禁止法制定の流れになったことがあるのだが、折角やり方を教えてもらって食いつなげるようになったところなのに禁止とは何事だ、と漁業者を中心に総反対を食らい、加えて捕鯨を是とする環境学的裏付けも腐るほど出てきたため、最終的には9割を超える反対多数で否決された。
通貨
シャングリ・ラ王国の公式通貨は「シャングリ・ラ円」である。しかしシャングリ・ラ円は銀行口座上の表記などで概念的に存在するだけで、物理的には日本円の硬貨や紙幣がそのまま使用される。パナマのバルボア紙幣が存在せず、代わりにアメリカドルが使用されるのと同じ方式である。その運用上、レートは勿論1日本円=1シャングリ・ラ円で固定されている。
2010年6月以前は、管理国がアメリカであったことからシャングリ・ラではアメリカドルが流通していた。しかし独立国家としての体裁を整えるために通貨を定義する必要があり、かといってシャングリ・ラにはまだ国際的に通貨の信用を得るほどの国力が無いため、独自通貨としつつも日本円と等価とすることで新しい管理国である日本の信用を借りることにしたという経緯がある。
ここで、兌換ドルではなく兌換円としたのは、無論管理国交代のせいもあるが、もうひとつ、銃刀法の導入と同時に治安のシンボルとして自動販売機を日本から本格的に導入する計画があり、日本円が使えると硬貨選別機と紙幣認識機を無改造でそのまま使えるので合理的という事情があった。近年の日本の自動販売機では携帯電話を使用したキャッシュレス決済機能がついたものが出始めているが、シャングリ・ラで導入された大半の自動販売機は格安の中古や型落ち品なので、キャッシュレス決済機能付きのものは殆ど存在しない。このような事情でシャングリ・ラの町並には日本の古い自動販売機が大量に設置されているので、どことなく一昔前の日本の匂いが漂う。
余談ながら、トコナッツ市のホライゾン・ビーチには王妃の実家の近くに最近まで設置されていた自動販売機が存在する。これは近所の酔っぱらいが殴って壊したらしい下段左から2番目のボタンの破損状況、側面の落書きからその個体と判別されたものである。調査によると、この個体はボタンが壊れた時点でかなり旧式化しており、替えの部品を調達するのが困難だったので、修理せずに中古一部破損品としてシャングリ・ラへ輸出された模様である。
国家関係
友好国
- チベット
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全国民の約半数を占めるチベット系民族の故郷。
国連に国家として承認されておらず、長きにわたり中華人民共和国に一方的に隷属させられている。 - ブータン王国
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チベット系民族の故郷の一つ。
チベット仏教の国であるが、実は同じチベット仏教でもブータンはドゥク派でチベットと宗派が違い、チベットと対立関係にあった。派閥争いでチベットと戦争を繰り返してきた過去もあり、中共のチベット侵略に関しても非干渉の立場であった。
しかしチベットにおける中共の文化破壊が進んだ結果、2010年現在でブータンは仏教寺院がチベットよりはるかに数多く残る国であり、チベット仏教を国教とする唯一の国連加盟国でもあるため、シャングリ・ラ王国の仏教派からは文化的に重要視されている。
カルマ国王の出身国でもある。 - インド
- チベット系民族の故郷の一つ。チベット亡命政府が存在する。
- ネパール連邦民主共和国
- チベット系民族の故郷の一つ。
- アフガニスタン・イスラム共和国
- アフガニスタン系民族の故郷。
- パレスチナ自治区
- パレスチナ系アラブ民族の故郷。今も怨敵と闘い続けている勇士たちがいるが、国土奪還における手法の相違により意見は決裂しており、テロ集団そのものとシャングリ・ラ王国に直接の繋がりは無い。
- エジプト・アラブ共和国
- パレスチナ系アラブ民族の故郷の一つ。アラブの同胞として幾度となくイスラエルと闘ってくれた、義に篤い盟友。
- ヨルダン・ハシミテ王国
- パレスチナ系アラブ民族の故郷の一つ。多くのパレスチナ難民がこの国で仮住まいをしている。
- 日本国
-
シャングリ・ラ島の二代目管理責任国。
行政区成立以前から多額の資金援助を受けているだけでなく、保存食製造、インフラ整備、漁法、耐震技術など、技術面でも多くの援助を受けている。
また、日本が擁する自衛隊は、アフガニスタン紛争の経緯から特にアフガニスタン系民族に大人気である。
2009年9月の政権交代以降、そのあまりの迷走ぶりに人気に陰りが見えたものの、2010年7月の日本人王妃誕生以降の日本特需から以前にも増して支持を盛り返している。
シャングリ・ラ王国は2011年の東日本大震災、2033年の日本経済破綻の際には積極的に日本の支援を行うものの、日本のマスメディアには殆ど報道されていない。 - パラオ共和国
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親日国で、同じく日本語を公用語として採用している国。
定期便が就航している。 - 中華民国(台湾)
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親日国なのに当の日本に国家として見られていない仲間。
ただし中国人に長年非人道的扱いを受けてきたチベット人は同じ中華系民族の台湾人を心の底から信用することができず、基本的には距離を置いている。
ところが2011年、東日本大震災の際に台湾が民間から200億円を超える桁はずれの義捐金を日本に送ったことが大々的に報道され、もしかして台湾はものすごく義に篤い国なのではないかという評価に転じる。
以降、徐々にではあるが国際交流が増えている模様。
敵対国
- 中華人民共和国
- チベット民族にとっては、長年にわたり弾圧され、尊厳を踏みにじられた恨みがある。
- イスラエル国
- パレスチナ系アラブ民族にとって、先祖代々の土地を理不尽に奪い今なお居座っている怨敵。
- グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国(イギリス)
- 三枚舌外交でユダヤ人にパレスチナと聖地エルサレムを売り渡したため、アラブ人に恨まれている。
その他関連国
- アメリカ合衆国
-
シャングリ・ラ島の初代管理責任国。
長年怨敵イスラエルの肩を持ってきたことでパレスチナ人に恨まれている。
テロ排除の名目でアフガニスタン国内の紛争を拡大したことでアフガニスタン人にも恨まれている。
中共によるチベット蹂躙を黙殺した国連の事実上のリーダーであり、今現在もチベットの独立を認めていないため、実はチベット人にすら恨まれている。
アメリカはアメリカで、戦争に参加しない日本ばかりが好かれてアメリカが嫌われ役になるのは納得いかないと思っているものの、事情を知らない大多数のアメリカ国民が自国の行いを棚に上げてパレスチナやアフガニスタンを嫌っている。
そもそも、アメリカがシャングリ・ラの開発を始めたのは、ミッドウェイ諸島の隣という戦略的価値のあるスポットに大規模軍事基地の建設に適したロケーションを発見したためである。後に日本に管理責任を委譲したのはその維持費を負担させるためであり、難民を受け入れたことさえも結局は日本に予算を出させるための大義名分である。
そういった政治取引のダシに使われていることもシャングリ・ラ住民の多くは認識しており、勿論快くは思っていないのだが、結果的に自分たちにとって利益にはなっており、その後の国防や原子炉防衛の必要もあるため、愚痴をこぼしながらも概ね割り切っている。
ただし、恨みは別にして一応交渉が可能で一度交わした約束を守るという点においては一定の信用を得ている。
歴史
- 2000年7月2日
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ミッドウェイ諸島野生生物保護担当員からアメリカ合衆国本国に救難連絡。地震と津波でミッドウェイ諸島地上施設が壊滅したことが判明する。更にその報告で、ミッドウェイ西に地表が露出して新しい島ができたことが発覚する。
アメリカ合衆国の人工衛星でも東経180度、北緯28度地点に海面からの地表露出を確認。 - 2000年7月23日
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国連主要国首脳会議の席上で、当該島嶼の名称が
North Pacific Island と決定される。 同時に、このノース・パシフィック島を暫定的に米国管理下に置くことが決定される。これは直近の米国領ミッドウェイ諸島から見てシャングリ・ラ島が西に2.6度=292km=157.8海里の距離にあるため、アメリカの排他的経済水域200海里圏内に入っていることが理由とされている。しかしこれはあくまで口実で、アメリカが管理するミッドウェイ諸島の直近に他の国が領土を持って軍事施設でも作ろうものなら要らぬ軍事緊張が生まれることは明白であり、それを望まない各国がアメリカの主張に若干無理があると思いつつも譲歩した形である。
この島の直上を日付変更線が通っていたため、付近の日付変更線を西側にずらして、ミッドウェイ諸島と同じアメリカ側にこの島が入るようにすることが決定される。 - 2000年8月2日
- アメリカ合衆国の調査隊がノース・パシフィック島に到着。月末までにひとまずの安全が確認され、かなりの規模の軍港建設が可能と判断される。
- 2000年9月19日
- ノース・パシフィック島がアメリカ合衆国太平洋艦隊の重要拠点と位置付けられ、島の南端への基地建設計画が承認される。
- 2000年9月25日
- アメリカ合衆国政府が国内でノース・パシフィック島への移住希望者を募集開始。しかし現地に何もないため反応が芳しくなく、半年で頓挫する。
- 2000年9月26日
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アメリカ合衆国のノース・パシフィック島大規模軍事基地建設計画に対して各国から非難の声が上がる。
合衆国大統領は、拠点が増えるだけで太平洋艦隊の規模は変わらない、国連平和維持軍の臨時拠点としても利用可能であり、むしろ平和維持に貢献できる、としてこれを突っぱねる。 - 2000年10月17日
- ノース・パシフィック島南部に100MW級加圧水型原子炉1基の仮設置が完了。これは原子力空母の交換用予備原子炉を応急的に設置したものであり、10万人規模の都市生活電力を賄うことができる代物である。
- 2000年10月18日
-
ノース・パシフィック島の簡易滑走路建設工事が着工される。
同日ノース・パシフィック第一原子力発電所の建設に着工。これは軍港の地下に建設が進められることとなり、後に全ての原子炉が所内に移設される。 - 2000年10月30日
- 簡易滑走路完成。航空物資輸送の拠点がミッドウェイ諸島から移され、大型輸送機の離着陸が可能になる。
- 2001年5月
- 大まかに基地設備が整う。しかし移住者がいないために周辺に何もないのが問題となる。
- 2001年6月
- ノース・パシフィック島に塩生植物の植林が開始される。
- 2001年9月11日
- アメリカ同時多発テロ事件発生のため、計画が一時中断され放置状態になる。
- 2002年6月27日
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国連主要国首脳会議の席上で難民問題が話題に上がり、ノース・パシフィック島への難民及び同地域の希望者の移民受け入れが決定される。
つまり難民救済の名目で日本に経済支援の約束を取り付けることに成功する。
難民受け入れには特にチベット亡命政府から強い要請があったため、アメリカの提案で島の名称がShangri-La Island に改められる。
なお、公には中国の一部としているチベット人の国外移住を中共政府が承諾した件については、元々中華系人民の注入によってチベットの乗っ取りを画策していたため、自ら出て行ってくれるなら好都合という算段である。 - 2002年6月30日
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紛争や難民が発生している地域の住民に国連の名義で移住意思の確認が開始される。
チベット、ブータン、ネパール、インドに離散しているチベット系難民及び関係者に移住の意思を確認。チベットは長年にわたり中共の不当弾圧を受けており、既に殆どの文化遺産が破壊しつくされているために敢えて留まる意思が薄いという層が多く、多数の希望者が集まる。
アフガニスタン紛争で難民化したアフガニスタン人に移住の意思を確認。紛争終結までの一時的措置という条件で多数の希望者が集まる。
パレスチナ問題でテロが多発するイスラエル居住ユダヤ人に移住の意思を確認するが、聖地エルサレムを有する国土から立ち退く意思は無いらしく、移住希望者ほぼ無し。
パレスチナを追い出されたアラブ難民に対して移住の意思を確認。やはり故郷と聖地エルサレムを取り戻すのが最も重要という意思が強いものの、既に他の国に移住している例も多く、国外から非暴力によって正当性を主張するには悪くない条件ということで少数ながら移民希望者が集まる。 - 2002年7月12日
- 第1次移民開始。この時点でチベット難民の移住希望者が最大勢力となり、その次のアフガニスタン難民もかなりの数に上る。また、少数ではあるもののパレスチナ難民の移住も実現している。
- 2002年8月10日
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シャングリ・ラ島の食糧事情を察した日本政府が大量のインスタントラーメンを支援物資として送る。
熱湯さえあれば簡単に食べられるインスタントラーメンはシャングリ・ラ島民に大好評を博し、以降シャングリ・ラ島民の貴重な栄養源となる。また、島内で保存食品の製造設備を作る計画が真剣に検討され始める。 - 2003年11月9日
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居住人口が10万人を超え、シャングリ・ラ島がシャングリ・ラ行政区になる。
しかし資源に乏しく難民を抱える地域のため、多額の赤字を抱える行政となる。
また、イスラム教徒と仏教徒とキリスト教徒が混在するために宗教的小競り合いが多発する。 - 2009年7月9日
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国連主要国首脳会議で、シャングリ・ラ行政区の管理権を日本に委譲することが決定される。
アメリカは同時にシャングリ・ラ行政区を国家として認めることを提案するものの、これは様々な現実的問題から先送りとされる。
シャングリ・ラ行政区の赤字に悩まされるアメリカは、国家として認めることで赤字から逃れ、更に2010年に満了する予定の日本からの支援を保護名目で今後も続けさせることで軍事基地を維持しようという魂胆であった。
また、大規模な米軍基地が存在する以上、アメリカの管理領土でなくても他の国家が手を出すのは容易なことではなかった。
一方で、アメリカ管理下から日本管理下に移すことで一般市民の銃の所持を禁止し、民族や宗教間の小競り合いを小規模化させるという目論見もあり、これは管理委譲の際に確約されている。 - 2009年9月16日
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日本で政権交代が発生したため、多額の支援を必要とするシャングリ・ラ行政区の扱いが問題になる。
このため、任されて早々に放任状態に陥るが、一方で日本のばらまき政策により一時的に経済が潤う。 - 2009年10月4日
- シャングリ・ラ議会第1回総選挙が実施される。
- 2009年10月5日
- 議会の最初の議題として、シャングリ・ラ憲法の内容審議が始まる。
- 2010年5月3日
- 憲法の内容審議が終了し、その結果、シャングリ・ラの国家形態を立憲君主制とすることが決定される。
- 2010年5月4日
- 国王選挙立候補者の募集開始。
- 2010年6月6日
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議会審議と住民投票の結果により、チベット系で若くして聖号を持つ
སྐར༌མ༌ སྟག་ཚང་ が国王として選出され、སྐར༌མ༌ ཞང་རི ལ を襲名する。
カルマ国王によりシャングリ・ラ憲法施行が宣言される。この宣言において、シャングリ・ラ王国は民族や宗教による諍いの解決を非暴力的手段によって模索するというポリシーが発表される。(シャングリ・ラ宣言)
シャングリ・ラ王国成立。
当初の予定通りに日本の銃刀法とほぼ同様の内容で銃の所持が禁止となり、個人・法人所有の銃器の買い上げ並びに狩猟用銃器所持免許の発行が行われる。これにより民族・宗教抗争による死傷者数を減らすことに成功する。 - 2010年6月7日
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日付変更線の改定によりシャングリ・ラ島が日本側に入り、時差がGMT-12からGMT+12になったため自動的に日付が一日進められる。
曜日に配慮して、飛ばすのは2010年6月7日月曜日0時~8日火曜日0時の間とされる。 - 2010年6月28日
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日本の出資により建設されていたシャングリ・ラ国際空港が無事に完成を迎える。
しかし観光客の誘致のためには認知度の向上が不可欠であり、翌月の訪日首脳会談に期待が高まる。 - 2010年7月16日
- カルマ国王が首脳会談のために日本を訪問。しかしこれは日本マスメディアの大半で取り上げられず、認知度向上失敗と受け止められる。
- 2010年7月20日
- カルマ国王が連れ帰った日本人女性を王妃として娶ることを宣言。ベッタベタのシンデレラ・ストーリーを取材するために日本のマスメディアの取材班が大挙して押し寄せ、第2案の計画通りに知名度向上に成功する。